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〈記憶をつくるもの〉

日本兵もまた人間 中国映画の“悪役”

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「風雲児女」(35年)のポスター

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「地道戦」(65年)のポスター(いずれも中国映画資料館提供)

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ドラマ「楊成武」の撮影現場で日本兵を演じる矢野浩二さん(左)。演じ方について張玉中監督(右)と話しあった=北京金色池塘影視文化有限公司提供

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「晩鐘」(88年)のポスター=中国映画資料館提供

 ■抗日戦争は永遠の題材

 暗い地下のトンネルを抜けると、そこは農家のかまどの跡だった。

 北京の中心部から北東に車で約90キロの焦荘戸(チアオチョワンフー)村。麦とトウモロコシ畑が広がり、羊の群れが道を横切る。だが、のどかな平原の下には、抗日戦争のときにつくられた総延長11.6キロの地下道が今も残っている。民衆が日本軍から身を隠し、反撃するため、家や井戸、馬小屋や見晴らし台を結んではりめぐらせたものだ。そのうち約800メートルが20年前、「地道戦遺跡記念館」の開設にあわせて修復保存され、見学できる。

 この地下道で撮影されたのが映画「地道戦」(1965年)。中国で老若男女を問わずその名を知らぬ人はほとんどいないという抗日映画の代表作だ。のべ観客数は12億人(中国映画資料館)といわれる。女性も子供も力をあわせて「鬼子(コイズ)」をやっつける物語は、抗日戦争時、華北の平原で展開されたゲリラ戦がモデルという。

 中華人民共和国成立(49年)後の50〜70年代、抗日戦争を題材にした映画が相次いでできた。中国社会科学院の劉志明(リウ・チーミン)メディア調査センター長は「ソ連との関係悪化など国際状況が緊迫するなか、いざという時に備えて民兵に戦い方を教える目的もあった」と話す。

 日中の映画に詳しい劉文兵(リウ・ウェンピン)・早稲田大非常勤講師によれば、一連の作品に登場する日本兵は「残忍だが、愚かでこっけいな姿」が共通しているという。

 集落を焼き払ったり、子供もお年寄りも容赦なく殺したりと、やることは残虐だが、力強さは感じない。たとえば、「地道戦」に登場する日本軍隊長はちょびヒゲに丸めがね。農村を襲って狙撃にあうが、撃たれるのはお尻だ。「地道戦」の前の「地雷戦」(62年)でも、日本兵は地雷を撤去しようとして、子供が埋めた「糞尿(ふんにょう)弾」を手でつかみ、悲鳴をあげる。

 中国・杭州(ハンチョウ)市出身で映画・映像論の研究者である応雄(イン・シュン)・北海道大大学院准教授は「当局の思惑は別として、私は子どもの時に娯楽作品として見たし、友だちと日本兵の物まねもした」と振り返る。

 中国内外約3万本の映画フィルムなどを収蔵している中国映画資料館(北京)の傅紅星(フー・ホンシン)館長によると、抗日を題材にした映画は、31年の満州事変をきっかけにつくられ始めた。事変後に抗日戦への参加を呼びかける作品が登場する。主題歌がのちに新中国の国歌となった「風雲児女」(35年)がその代表例だ。

 中華人民共和国の成立後には、抗日戦争に参加した世代の手で、戦勝の英雄をたたえる映画がつくられた。文化大革命(66〜76年)を経て、やがて、80年代の改革・開放の時代に入ると、数多くの外国映画にも触れた若手監督らにより、戦争そのものの意味を問いなおす映画が登場。日本兵も「人間」として描かれ始めた。

 傅館長は「ひとびとの記憶に刻まれた抗日戦争は中国映画にとって永遠の題材だ。観客は、侵略した日本兵といまの日本人が違うことも認識している」と話す。

 ■いまやコメディーにも 日本人俳優が活躍

 山西省晋中(チンチョン)市。古い町並みが残る一角で11月半ば、中国中央テレビ(CCTV)で来年放送予定の連続ドラマ「大国医」の撮影がすすんでいた。

 中華民国時代から新中国成立までを背景に、実在した漢方医一家の浮き沈みを描く。登場する日本軍司令官は、中国文化に深い関心をもつという設定だ。漢方医の治療中に中国側の捕虜となり、軍人から「普通の人間」に戻っていく。

 製作の指揮をとるのは映画監督の呉子牛(ウー・ツーニウ)さん(55)。中国映画界では「第五世代」と呼ばれており、抗日戦争を題材にした映画などを撮ってきた。ベルリン国際映画祭で銀熊賞に選ばれた「晩鐘」(88年)では、捕虜の日本兵が望郷の思いや生への執着をみせる。「戦争そのものではなく、戦争という極限状況を背景にして人間や生命の尊厳を描きたかった」

 多感な少年期は文化大革命のさなか。路線対立が暴力に発展し、人の死も間近に目撃した。呉監督は「戦争と同じような苦しみを味わった。戦争は嫌いだ。恨みで真っ赤に染まった目で見ていては、戦争の本質は見えない」と語った。

 俳優の香川照之さんが日本兵役を演じ、00年カンヌ国際映画祭グランプリを受賞した姜文(チアン・ウェン)監督の「鬼子来了(コイズライロー)(鬼が来た)」など、その後も斬新な作品が登場した。改革・開放による映画づくりへの民間参入も多様化に拍車をかけた。

 一方、テレビでも古い名作をリメークした連続ドラマの放送が相次ぐ。

 中国で活躍する大阪出身の日本人俳優矢野浩二さん(35)は、抗日戦の英雄を描いた製作中のドラマ「楊成武(ヤン・チョンウー)」で日本兵役を演じるのが8作目。祖国を懐かしみ、故郷に残した妻をいとおしむ役に、矢野さんは「やっと自分らしい表現ができた」と話す。

 これまでの作品でも「彼もまた人間」ということを心がけて演じた。撮影前には中国語と日本語のサイトや本で歴史を調べ、監督らと演じ方を話し合う。「中国でも情報が増え、ステレオタイプな作品では見てもらえない。日本兵の悪い姿だけを描くのではなく、普通の人間がなぜそうなってしまったのかを描ければ、中国の人々にも受け入れられると思う」

 中国の映画やドラマで日本兵役を日本人が演じる。雑誌「人民中国」の王衆一(ワン・チョンイー)編集長は「これも改革・開放政策の成果のひとつ。かつては日本人が中国メディアで活躍することさえ考えられなかった」と話す。

 抗日戦争はいまやコメディードラマにもなるなど多様化。こうした作品に英雄は登場せず、日本兵のみならず、取り巻きの中国人も笑いの対象だ。王編集長は「抗日戦争はある意味、『時代劇』のひとつのジャンルといえるほど定着した。中国の民衆にとってはもはや恨みを抱くだけの対象ではなく、エンターテインメントの対象にもなっている」と解説する。

(中野晃)


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