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「真珠湾の和解」 次世代へ

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阿部善次さん(新聞の写真左)と元米兵士たちの交流はハワイの地元紙では大きく報じられていた

 真珠湾攻撃のあった12月7日、今年もハワイでは例年のように追悼式典が開かれた。爆撃機の中隊長として真珠湾攻撃に加わり、この十数年ずっと式典に出席していた阿部善次(あべ・ぜんじ)さんの姿はなかった。今年4月に90歳で亡くなったからだ。

 阿部さんは日米の戦死者たちを追悼するため、ラッパ手で元海兵隊員のリチャード・フィスクさんに依頼して、毎月2輪のバラを真珠湾と太平洋国立記念墓地にささげていた。フィスクさんは真珠湾で攻撃を受けた側だったが、軍人たちの和解を呼びかけていた阿部さんに共鳴し、献花とともに鎮魂のラッパを吹いていた。ハワイでこの話はよく知られており、絵本にもなっている。フィスクさんも3年前に亡くなった。

 今年の式典には、阿部さんの代わりに娘の進直美(しん・なおみ)さん(63)と夫・享治(きょうじ)さん(65)の姿があった。享治さんは「父は生前、戦争が起きたのは互いに相手のことをよく理解していなかったからだと常々言っていました」と話す。遺志を継いで体力の続く限り式典に参加するという。


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