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現在位置:asahi.com >歴史は生きている >7章:アジア・太平洋戦争と国共内戦 >シリーズ・識者20人に聞く > 劉傑

歴史は生きている

日本の敗戦でアジアは新時代に 劉傑(早大教授)

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1962年、北京生まれ。近代日本政治外交史、東アジア国際関係史。主な著書に「日中戦争下の外交」「中国人の歴史観」など。

 一番重要なものは、1945年の日本の敗戦でしょう。中国大陸には、その後の内戦を経て、共産党政権による国ができる。日本は占領下で民主的な新国家として生まれ変わる。植民地だった朝鮮半島、台湾は日本から解放される。そういう意味で東アジア全体として、一つの時代が終わり、新しい時代を迎えた。また、原爆投下によって世界は「核の時代」に入った。

 以下は時系列で説明するが、2番目は日清戦争。中華帝国から台湾を獲得した日本の世界観は一変した。一方、敗れた中国にとっては改革を本格化するきっかけとなった。大量の留学生が日本に向かい、現代に影響を及ぼす改革派が歴史に大きな足跡を残した。日本を通して西洋に学ぶ、という中国大陸の新しい動きが出始めた。

 3番目は日露戦争。白人国家への勝利は太平洋戦争にいたる日本人の戦争観と自己認識を決定付けた。戦争は局外の中国に被害をもたらす一方中国のナショナリズムを刺激したという側面も重要だ。

 4番目は「中国同盟会の東京での成立」。清朝を倒そうという中国の革命派たちが最終的には東京に集まった。1911年に清朝を倒した辛亥革命は各地域の独立を求める反乱がきっかけだったが、1905年に成立した同盟会は立派な目標を掲げていた。中国の新しい国家づくりの原点はここにある。大陸侵攻をもくろむ日本は、孫文が指導する革命との関係も深かった。複雑な日中関係の象徴的な出来事が同盟会の成立だった。

 5番目は日本による韓国併合。日本からすれば東アジアでの帝国的な立場を確立したことは大きい。一方、朝鮮半島にとっては、屈辱的な歴史の傷跡になってしまった。

 6番目は「対華21カ条の要求」。この要求で日本が直接に得た利益は決して多くないが、中国人に「侵略的な日本」というイメージを植えつけた。この日本外交の失敗は、中国のナショナリズムへの無理解によるもので、ほとんどの為政者はその後もこれに気づくことなく、満州事変や日中戦争へ突き進んだ。

 7番目は満州事変。短期間で満州国の建国まで実現した軍部の暴走は、昭和前期日本の政治構造を映し出す一方、いわゆるアジア・太平洋戦争の出発点となった。

 8番目は、1936年の西安事変。35年から36年ごろは、日本と中国は全面戦争を避けられる兆しも見られた。日本には従来の高圧的な態度を見直し、中国のナショナリズムを理解しようという動きも現れた。しかし、これは中国大陸の日本軍への波及効果は限定的で、中国の対日不信を払拭(ふっしょく)することにも至らなかった。西安事変によって、「一致抗日」が中国の進む方向として定着し、蒋介石が共産党に対する討伐作戦をやめた。中国の「抗日戦争」は事実上このときに始まった。国共合作は、共産党が全国の統一政権を樹立する第一歩となった。日中戦争前のこの突発事件が中国とアジアの運命を変えた。

 9番目に挙げた朝鮮戦争には、中国が参戦し、米中関係に影を落とした。冷戦の時代が始まり、朝鮮半島、台湾海峡の分裂が定着し、東アジアの構図ができる。昭和の戦争への総括が米国の占領政策の下、早々と終了し、東アジアに重大な課題を残した。戦争で日本に経済成長の転機が訪れる。

 最後は、中国の改革・開放。49年以降の中国再建は、80年代からの改革・開放で本格化する。中国の台頭は、冷戦後のアメリカの世界戦略と世界の政治経済秩序に根本的な変革をもたらした。東アジアの未来は中国の進む方向にかかっていると言える。

(聞き手・佐藤和雄)
  • (1)原爆投下による日本の敗戦と国共内戦の終結
  • (2)日清戦争
  • (3)日露戦争
  • (4)中国同盟会の東京での成立
  • (5)韓国併合
  • (6)対華21カ条の要求
  • (7)満州事変
  • (8)西安事変
  • (9)朝鮮戦争
  • (10)中国の改革・開放


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