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現在位置:asahi.com >歴史は生きている >7章:アジア・太平洋戦争と国共内戦 >シリーズ・識者20人に聞く > 三谷博

歴史は生きている

韓流ブーム かつてない構造変動 三谷博(東大大学院教授)

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1950年生まれ。日本近代史が専門だが、教科書問題も詳しい。劉傑・早稲田大教授らとともに「国境を越える歴史認識 日中対話の試み」を日中で同時出版した。

 歴史の「分岐点」に目をつけた。最初の四つは我々の目がどのように条件付けられているかで考えた。また、東アジアは近代化を強制されたという特徴がある。各国の近代化が始まった時期のずれが、大きな問題を引き起こした。日本による近隣侵略は、近代化のタイミングのずれを同時にみないと理解できないのではないか。

 最初に「東アジアでの人的交流の急進」と「冷戦終結」を挙げたい。1990年代以来、東アジアでは人々の相互訪問が急激に進んだ。韓流ブームのように、多くの庶民が隣国を直接知るようになったのは、東アジア始まって以来の構造変動だ。また、冷戦の終結は、国家間だけでなく、各国内部の壁を取りのぞいた。それは、新たな人的関係への可能性を開く一方、冷戦で抑圧されていた、あしき記憶を浮上させることにもなった。

 3番目に1880年代前半の「東アジア3国の協調」を指摘したい。東アジアの歴史は対立面ばかりが語られがちだが、そうでない時代もあった。

 東京の中国公使館にいた黄遵憲が『朝鮮策略』というパンフレットを書き、朝鮮は自強のため中国との関係を深め、日本と提携し、さらにアメリカと国交を開くように主張した。もともとは日本の外務卿の寺島宗則のアイデアで、朝鮮国王はこれを採用して2年後にアメリカと条約を結び、国内改革を始めた。

 4番目は、「大日本帝国の崩壊」だ。日本人は歴史上初めて外国に占領された。戦争継続体制から解放されたものの、そのトラウマは無視できない。しかし、近隣にも目を向ける必要がある。日本軍はいなくなったが、中国では国共内戦が激化し、朝鮮半島も南北が分断されて戦争も始まった。日本は平和になったが、隣国はその後も戦争に苦しんだ。我々日本人はその事実を知っておいた方が良い。

 5・6番目に挙げたのは「アヘン戦争とペリー来航」。中国は西洋と戦争したが、本格的な改革には手を付けなかった。日本は戦争を回避しながら、連続的な国内改革に関心を集中した。希薄な国際関係のなかで眠っていた国が、突如として非常にアクティブな、しかも膨張的存在に急変した。

 7番目は「日清戦争」。日本では日露戦争がしばしば「偉大なる戦争」として想起されたが、後世の人間からみると、分岐点としては、日清戦争が決定的だと思う。日本人が「近隣への膨張は可能であり、いったん植民地を手にしたら手放せない」と思い込み始めたのが日清戦争だった。

 8番目と9番目は、「大韓帝国と辛亥革命」。日本に次いで朝鮮、そして中国という具合にナショナリズムに基づく改革、革命が起きた。そのナショナリズムを日本人の多数派が認めようとしなかったのがさらなる不幸の始まりだった。

 10番目は、「日中戦争」。日中戦争で日本が自滅の道に迷い込んだので満州国はなくなり、朝鮮も独立できた。逆説的だが、日中戦争がなければ朝鮮は独立のために相当の犠牲を払っただろう。また、中国の庶民のなかにナショナリズムが浸透したのは抗日戦争のなかだと言われている。

(聞き手・佐藤和雄)
  • (1)(2)東アジアでの人的交流の急進と冷戦終結
  • (3)1880年代前半の東アジア3国の協調
  • (4)大日本帝国の崩壊
  • (5)(6)アヘン戦争とペリー来航
  • (7)日清戦争
  • (8)(9)大韓帝国と辛亥革命
  • (10)日中戦争


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