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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com >歴史は生きている >7章:アジア・太平洋戦争と国共内戦 >記憶をつくるもの > 戦史とどう向き合う 〈記憶をつくるもの〉
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![]() 兵士たちの像が入り口を飾る韓国の戦争記念館=ソウルで、福田写す |
■「公的記憶」まだない日本
完全に数珠つなぎではないにしろ、1945年の敗戦に至るまで、近代日本は戦争に明け暮れた。31年の満州事変から数えて「15年戦争」と呼ぶ人もいる。
その戦争を、通史として展示している国立の博物館は、日本に存在しない。
唯一の国立の歴史博物館は千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館(歴博)だが、展示は古代から1920年代までで、以後をどう描くかは83年の開館以来の懸案である。日本の政治が近隣諸国との歴史問題で揺れてきたことと、それは無縁ではない。
そもそも開館時期に日本は歴史教科書問題で中韓両国と深刻な状況にあった。その後も、あの戦争の意味をめぐって国内政界でも対外的にも摩擦が絶えないのだから、歴博が手をこまぬくのも当然ではある。国立の博物館ゆえ、展示は日本としての「正史」と受け取られざるを得ないからだ。
特別展の試みはある。昨年、「佐倉連隊にみる戦争の時代」を開いた。地元にあった部隊の話だけに多くの人が訪れ、話を交わしたり新たに史料を提供してくれたりした。だが連隊史という設定は、戦争の全体像を表すことの限界も示すことになった。連隊が赴いた日清・日露の両戦争から太平洋戦争末期のフィリピン・レイテ島まで、では「なぜ」そうなったのかという大状況への問いは残る。
やはり国立の施設として、東京・九段に昭和館がある。「戦中・戦後の国民生活の労苦を後世代に伝える」とうたい、当時の暮らしを伝える史料がたくさん並ぶ。それはそれで興味深い展示品の数々ではあるのだが、その暮らしをもたらしたもの――戦争それ自体については、ほとんど何も触れられていない。
歴博も昭和館も、あの戦争について日本がいまだ「公的記憶」と呼べるものを持つに至っていないことをよく示している。自治体や民間の歴史関連施設ではさまざまな試みがあるが、こと国立となれば、だれも異を唱えない「銃後の労苦」に落ち着くしかない。
靖国神社には遊就館があり、これは立派な戦争博物館だが、あの戦争は日本の自存自衛のためだったという主張に貫かれている。今は宗教法人の付属施設にもかかわらず、日本の戦争観を代表しているかのように海外から見られることもあるが、それに代わる国の施設を日本は持てずにいる。
■中・韓は政治性を鮮明に
中国や韓国は日本と対照的で、こと日本がかかわる戦争についてはこれ以上ないほどはっきりしている。非は全面的に日本にあり、その理不尽な侵略や植民地支配に対する正義の戦いだったと描いて迷うところがない。北京郊外の中国人民抗日戦争記念館は象徴的で、日本の暴虐に立ち向かう共産党の戦いを称揚することに全力を挙げている。
韓国の独立記念館は、日本の支配の過酷さをジオラマも駆使して常設展示していることで知られ、開館20周年の今は特別展「日帝侵略期 拷問体験展」も屋外で開いている。等身大の人形を使っての生々しい展示だが、金三雄(キム・サムウン)館長は「歴史の事実であり、誇張も矮小(わいしょう)化もしていない」と強調するのだった。
ほとんどの日本国民は平和で紳士的だと思うが政治家はそうか、靖国参拝にしても独島(竹島)問題にしても――と金氏は根強い不信感を語った。その不信感を具象化したような展示は、博物館の政治性をあからさまに映している。
韓国では戦争といえばまず朝鮮戦争で、そこに多くを割いているのが戦争記念館だ。権永孝(クォン・ヨンヒョ)館長は「戦争は起こりうるもので、目をそらしてはいけない。だがその悲劇性も伝えなければならず、展示はバランスを考えている」という。国防意識を鼓舞し、かつ戦争の悲惨を強調するのだから、至難の業には違いない。
歴史記念施設についての著書を持つ鄭●基(チョン・ホギ)・聖公会大教授は、韓国でも「戦争をいかに記憶するかについて社会的合意が不十分だ」と語る。独立までの戦いはともかく、朝鮮戦争やベトナム戦争については国内でも議論があるのだという。
「韓国戦争(朝鮮戦争)での民間人犠牲者には長く光が当てられないままだった。ベトナム戦争では共産化を防ぐ重要な役割を果たしたという考えが支配的だったが、果たしてそうか。参戦した人たちの苦しみと、その代償は何だったのか。そうしたことが問われている」
国立の記念館は軍事政権下で考えられたものだと批判的な鄭氏は、戦争の記憶を違う形でとどめる「平和博物館」構想を大学関係者や市民団体と進めている。
■歴博 20世紀問う展示へ
話を歴博に戻す。
あの戦争を含む昭和期の常設展示について、検討は始まっている。満州事変から70年代の高度成長期までを想定し、2年後の春に開設を目指す。
あの戦争は何だったのか。その問い直しを含め、日本の一国史に閉ざされることなく、現代とは何かを考えるものにしたい。さらには、20世紀とはいったい何であったのかを――そう語る歴博の安田常雄教授は、だから戦争展示というより「現代展示」になるのだという。
安田氏は今年3月、ベルリンであった各国の歴史博物館関係者によるシンポジウムに参加した。いずれの国も「『美術館としての博物館』からどう脱皮し、いかに歴史と向き合うか」を懸命に探っている様子が印象深かったという。カナダやオーストラリアの博物館はキーワードは「多文化」だといい、フランスが「移民」といえばポーランドは「自由」を挙げたという話を聞くと、博物館がなし得ることの可能性を思う。
もちろん主題が戦争となれば欧米にしてもきれいに整理されるわけではない。アメリカはベトナム戦争について国内で評価が定まらないし、原爆投下にかかわる展示では日本との間で激しく摩擦する。
それでも、例えばホロコーストについての評価の定まり具合を欧州に見れば――そして着実に進む欧州統合の動きを見れば――、東アジアの今を思い返さないわけにはいかない。ベルリンのユダヤ博物館のように高度に抽象化された表現が可能なのも、ホロコーストをめぐるドイツの政治的折り合いの付け方があってこそだろう。
将来の展示に向け、安田氏はいう。
「解釈の揺らぎ、多義性を大事にしたい。解答ではなく、問いを示す」
政治的な面倒から免れる術(すべ)と言ってしまえば簡単かもしれない。だが戦争、さらには歴史の展示は、見る側にも知力と体力が要る。相互作用でどのような公的記憶にたどり着こうとするのか。政治に委ねるばかりが「正史」ではない。
※●は、さんずいに高
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