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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com >歴史は生きている >9章:日韓・日中 国交正常化 >シリーズ・識者20人に聞く > 小倉和夫
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![]() 1938年生まれ。駐ベトナム、韓国、フランス各大使歴任。青山学院大特別招聘(しょうへい)教授(日本外交論・比較文化論) |
「近現代史は民衆が動かした」という観点で選んだ。東アジア以外で起きたことでも、東アジアに大きな影響を及ぼしたものは入れてみた。
歴史認識は国によって、また人によって当然、異なる。ナポレオンは侵略者か。ロシア人かフランス人かによって認識は当然、異なる。問題は、日本の若い世代が、歴史認識を論じる以前に、歴史そのものに関心がなく知識も乏しいことだ。無知は偏見につながり、互いの誤解を生む。
まずインドで起きたセポイの蜂起(またはインド大反乱)をあげる。イギリスの植民地支配への抵抗だ。アジアの民衆の初めての大がかりな反植民地闘争で、東アジアにも影響を与えた。この抵抗がかえって英国のインド直接支配につながり、そこからインド防衛と中国進出、ひいてはアジア政策全般に影響した。
明治維新は、アジアにおける近代化モデルを提供した。権威としての皇室を前面に出して大規模な内戦を回避し、大革命を成し遂げた。また、中国に近代化を促した。
日清戦争に勝利した日本は、三国干渉に直面した。臥薪嘗胆(がしんしょうたん)という言葉によって、日本の民衆は帝国主義外交を支持すると同時に、国民も政府も黄禍論に敏感になっていった。政府は欧州の大国と協調しなければ国際社会で生きていけないことを思い知らされ、日英同盟につながる。
日本は、日露戦争で初めて外交における広報宣伝の重要さを知り、ジャーナリズムの役割や民衆の支持の重要性について認識を深めた。ポーランドやフィンランド、ロシア帝国の反ツァーリズム運動を支援した日本の「工作」は、パブリック・ディプロマシーの最初の試みともいえる。
伊藤博文の暗殺というテロが、日本による韓国併合の絶好の口実となった。民族運動が追いつめられてテロに走れば、弾圧する側にいい口実を与え、運動は挫折しかねない。今の中東のテロとも関連して考えねばならぬ視点だ。
辛亥革命は、中国の革命運動の原点であり、毛沢東の共産革命につながる。ロシアの共産革命は、世界でのイデオロギー対立を生む。共産主義の「脅威」という宣伝がなければ、ファシズムやナチズムも人気を得られなかっただろう。20世紀の国際政治にイデオロギー対立を直接もちこむ契機の一つともなった。
張作霖は関東軍の謀略で殺されたが、日本軍も政府も、責任をあいまいにして軍の規律を弱めた。軍内の統率がきかなくなり、同時に軍は民衆から離れた。事件を契機に日本は中国と決定的に対立する。盧溝橋事件により中国の内戦が国際化し、日中戦争は泥沼化。日本は中国民衆を完全に敵に回してしまった。
原爆投下の歴史的意味は、まだ確定していないといえる。日本国民の大多数は、日本は核武装すべきではない、核兵器は廃絶すべきだと考える。アメリカは原爆投下について一切謝罪しない。しかも、日本は核保有国アメリカと同盟関係にある。日本人はこの矛盾を戦略的にはともかく、道義的意味でどこまで真剣に問題としてとらえるか、原点に返って考えてみる必要があるかもしれない。
ベトナム反戦運動は、日本など東アジアだけでなくアメリカ、欧州、南米などに広がった。勝ったのは、アメリカでもハノイでもない。侵略戦争に反対した世界の民衆こそ真の勝者ともいえよう。
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