バグダッドの悪夢2006年10月16日 編集委員・川上泰徳 バグダッドで9月に2667人が殺されたというニュースが流れている。イラク保健省が閣議で報告した数字をAP通信が報じた。爆発や銃撃などで病院に運ばれた死者が1196人で、死体保管所に運ばれ、暴力の跡を残す遺体が1471体という内訳だ。
国連イラク支援団(UNAMI)の人権報告書によると、暴力によるバグダッドでの死者は、7月は2884人、8月は2222人だった。8月はイラク政府の治安強化作戦によって、いくらか減ったものの、すぐに増加した形だ。
暴力にはスンニ派もシーア派も関わっている。シーア派主導政権の下で、内務省や警察に拘束されたスンニ派住民が、ひどい拷問の跡を残して遺体で見つかるケースが続いている。スンニ派の武装勢力がシーア派住民への攻撃や拉致を行い、同様に残虐な行為を続けている。両派による報復合戦となっている。
いまイスラム世界はラマダン(断食月)の最中だが、バグダッドに住むイラク人の知人にインターネットを通じて日々の様子を聞いた。「ラマダンになればコーランの教えに従って、流血を避けようとする意思が働いて、しばらく平和になるのではないかと期待したが、全く逆になった」と知人は語った。
知人はスンニ派で、バグダッドの西部の住宅地に住む。スンニ派とシーア派が混ざってすむ地域で、比較的平穏な地区だったが、9月下旬にラマダン入りしてから状況は急激に悪化したという。特にシーア住民に対する武装勢力の攻撃や脅迫が激しくなった。
ラマダンが始まって2、3日目に、知人の2軒先に住むシーア派の隣人が、朝、カラシニコフ銃の弾丸と「48時間以内に立ち去れ」という脅迫文が入った封筒を見つけて、その日のうちに出て行った。車にテレビや食器などの身の回りのものだけを持って、シーア派地域に移ったという。10月にはいってからも同じ地区のシーア派住民が脅迫を受けて、イラク南部の故郷ナーシリアに避難したという。
10月初めには家から歩いて10分ほどのところにあるスーク(市場)で、武装グループが2台の車で乗り付け、市場で買い物をしていた男性を捕まえ、公衆の面前で銃で撃って逃げた。撃たれた男性は2台目の車にはね飛ばされた。知人は偶然、事件の15分ほど後に市場に行き、殺された男性の無残な遺体を見たという。事件の背景は分からないが、スンニ派のグループが狙っていたシーア派住民を殺したと見られる。
「数日前に地区で激しい銃撃があった」と知人はいう。隣接するシーア派の地区で、宗教指導者の家族が殺害された後、その報復のためにシーア派民兵が知人の地区に向けて銃撃を始めたという。イラク軍の国家警備隊が民兵を止めようとしたが、銃撃戦となり、知人の地区の住民たちも家の屋上に上って、自動小銃のカラシニコフで応戦したという。銃撃は1時間近く続いた。
住民の間に疑心暗鬼が広がっている。知人はいま自宅でカラシニコフ銃と拳銃を持ち、寝るときにベッドの横に置くのはもちろん、部屋を移動する時も持ち運ぶという。
バグダッドでの現在の日没は午後5時半ごろで、去年のラマダンまでは断食明けの食事(イフタール)をとった後、近くのモスクに礼拝に行き、さらに町にショッピングに行くなど、断食から解放された夜を楽しんだという。ところが、今年はイフタールの後で外出するものは誰もいないし、商店も閉まったままだ。「こんなひどい状況は生まれて初めてだ」と知人は語った。
バグダッドに住む人々の生活ぶりを伝えるものに8月に出た『バグダッド・バーニング2 いま、イラクを生きる』(アートン刊)がある。著者はイラク女性だが、実名ではなく、「リバーベンド」というインターネット上のブログ名で出ている。今回出たのは第2集で、2004年6月から今年6月までのブログを集めている。
今年2月11日のブログでは、「襲撃」と題して、いとこの誕生パーティーでおばの家に招かれた時に、夜、治安部隊の家宅捜索を受けた経験を次のように書いている。
「突然、2人の男が居間に入ってきた。私たちは全員おばのそばのソファに座っていた。いとこのBは目覚めていて、恐怖に目を見開いていた。男たちは大きな軍用懐中電灯を持っていた。一人が私たちにカラシニコフ銃を向け、『お前らのほかに誰かここにいるのか?』と、おばに吠えた。『いいえ、私たちのほかには外であなたたちと一緒にいる夫だけです、家を調べてみればいいわ』。T(別のいとこ)が、どぎつく輝く軍用懐中電灯の光を遮ろうと手を挙げた。が、男の一人が怒鳴りつけたので、その手は弱々しく膝の上に落ちた。私はまぶしい光に目を細めたが、目が慣れてくると、彼らが覆面をして目と口だけを出していることが分かった。いとこたちをちらりと見て、Tがほとんど息をしていないのに気づいた」
この時の治安部隊の作戦で、おばの地区だけからでも、19歳から40歳までの男たちが、少なくとも12人連行されたという。ほとんどはスンニ派住民だった。別の場所で治安部隊に連れ去られた住民の家族は「彼らが死体で発見されることを予測して、日に何度も死体保管所を訪れている」という。リバーベンドは別のところで、家族を求めて、死体保管所に集まる人々の表情を書いている。
「バグダッド・バーニング」のブログ<http://www.riverbendblog.blogspot.com/>を見ると、10月16日の時点ではまだ8月5日付が最新だ。「バグダッドの住民は組織的に首都から追い出されている。ある家族は、朝、目が覚めて、カラシニコフ銃の弾と『地域から出ろ』と書かれた手紙が入った封筒を発見する」 と始まり、状況のさらなる悪化を伝えている。私の知人が語った状況とまったく同じである。気になるのは、リバーベントのブログがもう2カ月以上更新されていないことだ。
知人の話を聞き、リバーベントのブログを読むと明らかになってくるのは、暴力がこれほどまでに増殖するのかという悪夢としか思えない悲劇の様相だ。もともとイラク戦争は、2001年9月の米同時多発テロがなければ、起きえなかった戦争である。バグダッドは500万人ほどの大都会だが、同時多発テロの死者が2973人であることを考えれば、バグダッドではそれに匹敵するような殺人が毎月起きていることになる。
米国がイラク戦争を起こした理由は、旧フセイン政権が大量破壊兵器を保持し、同時多発テロに関与したアルカイダと協力しているという2つの疑惑だった。ところが、2つともに、戦後に米議会の特別調査委員会によって否定されてしまった。
ブッシュ大統領は米同時多発テロから5年の今年9月11日のテレビ演説で、「サダム・フセインが権力の座からいなくなって、世界はより安全になった」と述べたが、イラクにとっては全く逆だ。米国を襲った暴力は、米国の戦争によってイラクに移植され、さらに地域の矛盾を吸収し、人々の憎しみを食う怪物のように増殖している。ブッシュ大統領がいくら戦争を正当化しようとも、さらに安倍首相が「武力行使を支持したのは正しかった」と国会答弁しようとも、世界がとんでもない暴力を抱え込んでしまったことは否定できない。 プロフィール
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