パレスチナの混迷2006年12月27日 編集委員・川上泰徳 パレスチナ自治区では2006年春にイスラム過激派ハマスが率いる政権が出来て以来、イスラエルによる封鎖と攻撃が日常化し、欧米による自治政府への援助停止などの制裁的な措置が続く。自治政府の公務員は10カ月も給料が払われず、パレスチナの武装グループによるイスラエル兵の拉致をきっかけにイスラエル軍が軍事侵攻をおこなった6月以来、長時間の停電が起こり、人道的な危機状態が広がっている。 12月にガザ自治区南部のハンユニスにある非政府組織(NGO)「文化と自由な思考協会(CFTA)」の中心メンバーとして、来日したマジダ・エルサッカさんに話を聞いた。 この組織は1991年にマジダさんら5人の女性によって始められ、ハンユニスの難民キャンプにガザで初めての「子どもセンター」を開き、図書館、コンピューター、演劇、夏のサマーキャンプなど様々な活動を行っている。女性を対象とした「ヘルス・センター」を開き、95年には女性の収入を支援するマイクロファイナンス(小口融資)を始めた。ティーンエイジ・センターやパブリック・センターなども持ち、ガザ自治区では有数の市民組織となっている。 ハマス政権に対する欧米の援助凍結とイスラエルによる封鎖で、ガザの失業率は75%に達し、CFTAの活動も大きな打撃を受けた。女性への小口融資では、1000ドルから5000ドルを貸して、女性が事業を始めるのを助けていた。女性たちは、養鶏場をつくったり、オリーブを加工したり、美容院を開くなどして、中には成功して、事業を拡大するような例も出ていた。ところが、今年6月にあったイスラエル軍の侵攻と攻撃で、雑貨店の開いていた女性の店が破壊されて借金を抱えたり、美容院を開いていた女性は、経済状況の悪化で客がいなくなり閉鎖に追い込まれるなど、ビジネス自体が成り立たなくなっているという。 自治区ではハマス系の宗教組織や病院、学校が活発に活動している。CFTAは宗教とは関係ない市民NGOであり、現在、日本のNGOの「パレスチナ子どものキャンペーン」やフランスのNGOから援助を受け、06年春からはスイス政府から資金援助を受けているという。非宗教系のNGOの中には米国際開発庁(USAID)の援助を受けていたところも数多くあったが、ハマスが政権を取った後は、援助を打ち切られて、いずれも活動停止や閉鎖に追い込まれたという。CFTAは例年500人規模でサマーキャンプを実施してきたが、06年の夏は、立ちゆかなくなった他のNGOから子どもたちが移ってきて、申し込みが殺到し、5000人の規模で行ったという。 ハマス系のNGOや施設は、自治区全体が危機的な状況の中でも資金は潤沢にあるという。「ハマスは閣僚や自治政府の高官のポストを抑えているから、自治区から外に出ることができる。彼らがアラブ諸国を回って集めた資金が、自治政府にではなく、ハマス系組織に回っている」とマジダさんはいう。「欧米がハマス政権を拒否しているから、ハマスは政府に対して責任をとらなくてもよくなっている。その結果、ハマスは自分の関連組織だけの面倒をみる。人々はますますハマスに依存するようになっている。欧米による制裁の影響をまともに受けているのは、非宗教的な市民組織ばかりだ」と語る。 イスラエルとパレスチナのイスラム過激派は11月下旬に停戦で合意した。故アラファト議長を継いだアッバス議長は、自派ファタハとハマスの間で連立内閣を探っているが、12月になって逆にハマスの支持者とファタハ系の治安部隊の代打で、武力衝突が起こるなど、事態はさらに混乱を深めている。 首相はハマスに「連立が成立しなければ、早期に選挙を実施する」と脅しをかけているが、マジダさんは「いまはファタハの影響力は人々の間では地に落ちている。選挙をすれば、議長も、自治評議会も、ハマスが勝つだろう」と語った。市民組織のリーダーとして状況の厳しさに接している立場からの発言だけに、説得力があった。 マジダさんとのインタビューと前後して、12月下旬に東京で、「パレスチナ記録の会」が発足した。パレスチナ問題に20年以上かかわってきたフリージャーナリストの土井敏邦さんが取りためてきたパレスチナの映像をドキュメンタリー映画にするのを支援しようという市民グループの立ち上げだ。 会場では土井さんが93年以来、ガザのジャバリア難民キャンプに住む、ひとつの難民家族を撮り続けた映像を35分に編集したドキュメンタリーが放映された。93年にイスラエルとパレスチナの間で調印されたオスロ合意がなぜ、失敗したか映像で追っていく。イスラエルの封鎖によるパレスチナ自治区の経済の破綻や失業者の悲惨、自治政府の腐敗などを淡々と描いている。土井さんは「地味な映像だが、工業や農業など人間が生きていく基盤を奪っていく占領というものについて、その構造を描こうと思った」と語った。 土井さんは様々なテレビの報道番組でパレスチナやイラクのドキュメンタリーを発表してきた。パレスチナでは難民キャンプに1カ月も2カ月も住み込んで人々の生活の内側から映像をとる手法をとっている。「パレスチナ人はどんなに厳しい状況でも、人間らしく生きている。相手がかわいそうというよりも、逆に私の方が心の豊かさをパレスチナ人の家族からもらい、育ててもらっている」と話した。土井さんは、これまでの映像をまとめ、さらに追加取材をして、長編ドキュメンタリー「届かぬ声―占領と生きる人びと―」(仮題)の4部作を構想し、その制作を始めたという。 日本人によるパレスチナのドキュメンタリーとして、06年春、フリージャーナリスト古居みずえさんの「ガーダ ―パレスチナの詩」が完成し、東京、大阪、名古屋で劇場公開された。まさに土井さんがいう「パレスチナ人の心の豊かさ」を映像で伝えていた作品だった。同映画は、06年10月に、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を公共奉仕部門で受賞した。 パレスチナと言えば、イスラエルとパレスチナの間の紛争が日々のニュースの中心になり、血なまぐさいイメージが出来上がっている。ところが、古居さんのフィルムでは、ガーダという一人のパレスチナ女性を追い、その結婚、家庭、出産、子育てなどの映像を通じて、パレスチナ人の日常生活と人々の思いが浮かび上がってくる。 土井さん、古居さんが見せるパレスチナの“日常”こそ、パレスチナに長年も通い続けたジャーナリスにして、初めてたどりつくことができる世界である。さらに、もう一人、パレスチナ報道では2人の先輩にあたるジャーナリストの広河隆一さんは、30年以上にわたるパレスチナ・中東取材の集大成である写真記録『パレスチナ』(日本図書センター)で、2003年の土門拳賞を受賞した。 私は、2003年暮れにパレスチナ人が住む東エルサレムのサラフッディーン通りにある書店で、アラビア語の本の間に並ぶ1冊の厚い日本語の本を見つけた。広河さんの写真記録の第2巻「消えた村と家族」だった。現在のイスラエルから難民として出たパレスチナ人の村が破壊され廃墟になっている様子と、その家族たちを長年にわたって追った労作だ。 パレスチナ人の失われた過去を掘り起こすという作業を、彼らに代わって日本人のジャーナリストが成し遂げた本が、パレスチナ人の目にふれていることに誇らしい思いがしたものだ。それは、土井さんや古居さんの仕事にも共通することだが、苦境にあるパレスチナの歴史を、一人の人間として共感をしつつ記録するという作業を、日本人が行っていることの誇らしさである。 プロフィール
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