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カフェになった日本家屋 木浦

2008年1月12日

  • 筆者 鄭銀淑

写真「ヘンボギ カドゥカン チプ(幸せいっぱいの家)」木浦市中央洞3街1−3 11時〜24時 無休 コーヒー、紅茶4000〜5000ウォン写真内装は和洋折衷。カフェというより博物館のようで、ひとつひとつの部屋を見て歩きたくなる写真建物を裏側から見たところ。植民地時代は東洋拓殖株式会社の幹部の住まいだったと思われる。日本家屋を飲食店として活用している例は、全羅北道群山の月明洞でも見かけた写真斜め向かいにあった東洋拓殖株式会社・木浦支店は「木浦近代歴史館」として生まれ変わっていた。同様の例は釜山でも見られる

 私が韓国の田舎を旅するとき、マッコルリの飲み歩きとともに楽しみにしているのが、旧・日本人街の散策です。韓国では植民地時代の日本建築物は、常に「撤去」か「保存」かの議論の対象になってきましたが、最近は文化遺産に指定されたりするなど、保存しようという動きも目立ってきています。

 なかでも全羅南道の木浦は、解放後(日本の終戦後)の経済発展が遅れたため、他の地域よりも日本建築物が多く残っているところです。とくに儒達山を背に木浦の海を臨む儒達洞と中央洞は日本人居住区だったため、官公署、商店、長屋などが連なり、日本の昔の町内が丸ごと残っているような雰囲気で、歩いているとなんとも不思議な気分にさせられます。

 昨年末、久しぶりに中央洞を歩くと、保存か撤去かで話題になっていた「東洋拓殖株式会社」の補修工事が完了し、「木浦近代歴史館」という博物館に生まれ変っていました。私の目をひいたのは歴史館の斜め向かいにある「幸せいっぱいの家」というカフェレストラン。それは以前からここを訪れるたびに見ていた立派な日本の屋敷が改装されたものでした。2年前に見たときは一部窓ガラスが取り外され、取り壊しが始まる気配だったので、寂しく思ったのですが、まさかこのようなかたちで再会できようとは。

 木張りの外壁はチョコレート色に塗り直されていますが、外観は日本家屋そのまま。きしむ音まで味わい深い階段を上がり、採光のよい部屋であたたかいコーヒーをいただきました。

 このカフェをオープンした木浦出身のイ・ヨンチョルさんが言います。

「繁華街から少し離れていますが、木造家屋に魅力があったので、ここに決めました。すべてがハンディクラフトで味があり、庭木の配置もすばらしかったのです」

 インテリアの専門家だった奥様とともに2年かがりで内装に手を入れたそうです。元の建物がもっている木のあたたかみを生かすため、既存のものと同じ素材を使うなど、なかなかのこだわりよう。

「日本の建物だからといって偏見はありませんでした。90年も前に建てられたとは思えない頑丈さと、現代の建物にはない纎細な仕上げに驚きました」(イ・ヨンチョルさん)

 植民地時代の日本建築は、解放後「敵産家屋」と呼ばれ、韓国人に払い下げられました。以前、『韓国の「昭和」を歩く』(祥伝社新書)という本の取材で、日本家屋に住んでいる人たちを多く取材しましたが、彼らも口を揃えて言っていました。「日本家屋は頑丈」だと。

 家にも物語があるはず。この家にはどんな人が住んでいたのでしょうか。

「元々は東洋拓殖会社の官舎で、解放後は地元の富豪ナ・サンスさん一家が住んでいました。ナさんの奥さんにこう言われました。『この家に越してきたとき、お金持ちになる夢を見た。だから、あなたもお金持ちになるよ』って(笑)」(イ・ヨンチョルさん)

 老朽化した建物を保存するには、それなりのお金がかかります。飲食店としての再生は、日本家屋が生き残っていくための選択肢のひとつかもしれません。私も田舎の古い日本家屋を借りて、デポチプ(マッコルリ居酒屋)でも始めてみたくなりました。

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