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楽しめる「韓国発・日帰り北朝鮮ツアー」(前編)

2008年3月6日

  • 筆者 鄭銀淑

写真韓国の出入(国)事務所の出国審査場の前には長い列ができた。参加者は40代以上に見える人たちが大半。日本人らしき人は少なくとも5、6人、在日韓国人らしき人たちも10数名確認することができた。日本人参加者のパスポートにはハングルで「都羅山→開城」とハングルで書かれたスタンプが押される写真韓国の出入(国)事務所の2階には、北朝鮮土産の専門店もある写真バスの最前列には、「北側案内員指定座席」と書かれた黄色いステッカーが貼られていた写真最初の見学地・朴淵瀑布は朝鮮三大瀑布のひとつと言われている。ここを基点に周辺の寺院まで軽登山を楽しむことができる

 子供の頃、透明人間になれる帽子をかぶった主人公が北朝鮮に行くマンガを読んだことがあります。韓国人にとって北朝鮮は透明人間にでもならない限り、たやすく行くことのできないところでした。しかし、南北分断から60年近くが経った今、国境線に近い2つの場所に限っては、足を踏み入れることができるようになりました。そのひとつが江原道の「金剛山(クムガンサン)」、もうひとつが黄海道の「開城(ケソン)市」です。

 金鋼山観光は日本でもよく知られていて、韓国人対象の北朝鮮観光商品として定着しています。開城観光のほうは数年前から計画されていましたが、なかなか実現に至らず、昨年12月5日にようやく第一陣が訪問しています。2カ所とも制約の多いツアーですが、北朝鮮に行けるということだけでも韓国人には魅力的です。日本では“名残り雪”と言うのでしょうか、去り行く冬からの贈り物でソウルも開城も真っ白になったある日、「開城日帰り観光」に参加してきました。

 ソウルから78キロ、板門店から12キロのところにある開城は、朝鮮王朝時代の前の統一国家・高麗の都だったため、新羅の都だった慶州とともに歴史の都と称されています。高麗王朝後には商業都市として栄え、高麗人参の栽培地としても有名なところです。日本の植民地支配から解放された直後、38度線以南にあった開城は韓国側に属していましたが、1953年の停戦協定で北朝鮮領となりました。分断されてから半世期以上が過ぎていますが、開城は北朝鮮領だからというだけではなく、歴史的にも人文的にも魅力のあるところです。

 開城観光は京畿道坡州市・都羅山(トラサン)の「京義線道路南北出入事務所」から始まります。午前7時頃、ツアーを運営する現代峨山の職員から一日ビザのような出入許可証を受け取り、北朝鮮での注意事項などを聞きます。「新聞、雑誌、携帯電話などは北側に持って行けないので預けてください。民間人や民間人の居住区域は写真撮影禁止です。政治的な話はしないでください。北側では米ドルしか使えないので、ここで両替してください」などなど。あれほど反米を叫びながら、米ドルだけは受け入れているというのも皮肉な話です。開城観光の料金18万ウォンのうち、100ドル相当が北朝鮮側の取り分だそうです。

 国際線に乗るときと同じような出国審査を受けた後、バスに乗って非武装地帯の「軍事分界線」を越えます。雪が積もっているので、黄色で塗られているという軍事分界線は確認できませんでした。この日、観光客を乗せたバスは13台。1台は約40人乗りなので、総勢500人の大がかりなツアーです。私が乗ったバスは、全羅南道の麗水など地方から団体できたおばあさんグループ、40代と思われる高校の先生グループで占められていました。車内のモニターから注意事項が放送されると、隣の席のおばあさんは「南側…、北側…」と繰り返しつぶやいていました。南北交流が活発になって以来、北朝鮮の人と対するときは、南韓、北韓という韓国主体の呼称は避け、代わりに「南側」「北側」と呼び合うのがマナーとなっているのです。ワールドカップやオリンピックの実況中継でもアナウンサーは「北側」という言葉を使っていますよね。

 軍事分界線を超えていくと北側の出入事務所に到着します。ここからが本当の北朝鮮領。緑色の軍服姿の北側の軍人(役人)は、意外と威圧的ではなく、私が「アンニョンハセヨ」とあいさつすると、少しかたい返事が返ってきます。荷物検査のとき、私のカバンに入っていた開城在住の郷土史学者が書いた『開城の話』という本を、軍人が注意深くチェックしています。北朝鮮よりも韓国で先に出版され話題になった本ですが、無事に通過することができました。他の旅行者のなかでも、一眼レフカメラを持っている人は、やはり入念なチェックを受けていました。これで南と北それぞれの審査が終了。この審査は南と北がまさに2つの国に分断されていることを意識させるものでしたが、「南北出入事務所」が「南北出入“国”事務所」という名称でないのは、分断の固定化をイメージさせる表現を避ける配慮かしら? と考えてしまうのは感傷的過ぎるでしょうか。

 北側の審査が終わってバスに戻ると、北側の案内員3名が乗り込んで来ました。いよいよ本格的な北朝鮮観光の始まりです。マイクを握るメインの案内員(38歳)は背の高い美男子。開城出身なので北側のイントネーションが弱く、言葉は聞きとりやすかったです。車窓は南北共同で運営する開城工業団地。北側と言っても近代的な工場施設ばかりが目立つ韓国的な風景です。「ファミリーマート」の店舗も目に入りました。

 午前9時。バスは煤けた印象の建物が目立つ町に入りました。北朝鮮の人々が出勤・登校する姿を間近に見ることができます。写真が撮れないのが残念でなりません。美男案内員が開城市内の名所とそこにまつわる民話を語り始めます。その話しぶりには万国共通の中年男性の脂っこさがありましたが、アナウンサーやナレーター顔負けの話の上手さです。野趣あふれる艶笑譚を交えて民話を語るので、地方から来たおばあさんたちは大喜び。美男案内員は北側の流行歌を2曲も披露するサービスぶりで、車内は次第にリラックスした雰囲気になってきました。

 若い軍人が約1キロ間隔で警備に立っている畑や山道を通り過ぎ、バスは最初の見学地・朴淵瀑布(滝)に到着します。「案内員とできるだけ気楽に語り合いたいが、何から切り出せばよいものか……」と考えながらバスを降りると、なんと話しかけてきたのは美男案内員のほうでした。

(後編に続く)

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