2009年5月15日
雨季が近付き、道路事情が悪化する前に帰還を急ぐ人たちも
この日、ウガンダから到着した400名の帰還民
ウガンダから、家畜も一緒に連れて戻って来る
帰還民一時受入れセンターで配られる食事の準備
帰還して来た人たちは、これから村へ戻るまでの手順等について説明を受ける。
この中には、地雷や不発弾の講習も含まれる。
建物の中に入りきれず、外から聞く人たちも多数。
人々はマットやバケツ、食糧などの配給を受けて、村へ戻る
(配布用物資の備蓄テント。左:UNHCRの担当官、右:筆者平野)
ウガンダからカジョケジに到着し、それぞれの帰還先である村へ向かうトラックを待つ人々
3月中旬、スーダン南部の中央エクアトリア州にあるカジョケジを訪れた。ウガンダとの国境にある小さな町だ。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、2009年に隣国からこの町に帰還する難民を1年間で7000人と予測していた。しかし、既に今年1月から3月中旬までの間に5000人を超える人たちが戻って来ており、当初の予測を上回ることは間違いない。私が訪問した時も、ウガンダからバスで400人以上が到着し、帰還民受け入れセンターで食事が配布されているさなかだった。翌日にはその全員が受け入れセンターから出身の村へ向かって出発し、すぐに次のバスの受け入れ準備が始まっていた。
帰還してくる人々のうち、43%は5歳から17歳までの学校へ通う年齢の子どもたちであるにもかかわらず、学校が足りない。郡全体で小学校は77校しかなく、難民の帰還に伴って、生徒は平均1クラスずつ増加する計算になる。恒久的あるいは仮の校舎があるのは、そのうち26校のみ。必然的に屋外で授業を受ける子どもたちは増える一方だ。スーダン南部は1年のうち半分が雨期で、この時期に雨を避ける校舎のない学校では、授業を行うこと自体が困難になってしまう。また、敷地内に井戸のある小学校はなく、多くはトイレもない。ジェンはそのような学校で、衛生教育を行い、その指導を実践するために井戸、トイレそして手洗い場を設置し、地域の住民が協力して整備を行うための支援を続けている。
今回カジョケジを訪れたのは、ウガンダとの国境地域にまで支援を拡大するにあたって最初の調査を行うためだ。ジェンがスーダン南部で支援を開始した2007年時点では、この地域でウガンダの反政府武装勢力が国境を越えて活動していた。また、内戦の最前線であったことから、多くの地雷が敷設されており、スーダン南部の中心であるジュバからは陸路で直接アクセスできず、いったん隣国のウガンダに出国してから再びスーダン南部へ入国するという迂回(うかい)ルートを取る必要があった。しかし現在では、まだ遠まわりではあるものの、ジュバからカジョケジに続く道が開通しており、車で8時間の距離にまで縮まっている。予測を超えたスピードで帰還が進むなか、再定住支援のニーズは高い。支援地域の拡大を考えられるようになったことは、道路事情もさることながら、治安が改善してきた証拠でもある。
スーダン南部では2005年1月の和平合意の後、内戦中に国外へ避難していた35万人もの難民と、さらに多くの国内避難民が、もと居た地域へ戻って来ている。とはいえそこには安全な飲料水やトイレの施設はなく、コレラや急性の下痢など水因性の感染症に罹患(りかん)する人々が後を絶たない。今、この町で誰もが心配しているのは、病院の機能が停止してしまっていることだ。この町の病院は、内戦時代から大手の国際NGOが支援していたため、スーダン南部では比較的良好な状態を保っていた。しかし和平合意から4年が経過し、緊急期から復興期へと入るにつれて、このNGOに資金を供給してきたドナーがこの地域への支援を優先しなくなった。その結果、支援の継続は不可能と判断し、病院の運営は昨年12月にスーダン南部自治政府の手に委ねられた。以来今年1月から3月まで、自治政府から派遣された医師の給与も遅配、さらに看護婦など病院関係者の給与も遅配またはストップしている。一人しかいなかった医師も給与の件について交渉するためかジュバへ戻ってしまい、現在に至るまで医師不在の状態が続く。薬はジュバの保健省から支給されるが、それを運搬するための手段がない。カジョケジから隣国ウガンダのモヨという町までは車で30分。そこには病院があるものの、以前に支援された救急車も壊れたままであり、患者を搬送する手段がないのだ。「内戦が終わって、人々は避難先から戻り、これから生活が良くなることを期待しているのに、むしろ悪くなる一方だ。和平合意への希望が揺らいでいる」という、政府関係者の嘆きが印象的だった。
災害や紛争で失われるのは、建物や施設だけではない。多くの人が亡くなり、避難を余儀なくされるなかで、これまで機能してきたルールや秩序が壊れてしまうことも多い。スーダン南部においても四半世紀に渡って続いてきた内戦の影響は根深く、自治政府のガバナンス、法や行政制度もいまだ整備と発展の途上にある。緊急の時期を過ぎ、注目だけでなく資金までも潮が引くように去っていくなか、帰還してきた人たちは更なる試練に直面しているのだ。
支援を行う場合、常に注意しなければならないことのひとつが、自立発展性だ。外部からの支援が行われている間はうまくいっても、それがなくなると機能不全に陥るというのは、自立発展性が不足した支援である。だからこそ緊急の段階からこれを意識し、地域住民あるいは行政が主体となって、支援を終えたあとも自立、発展していく「しくみ」を作る必要がある。
ジェンはこれまで学校に井戸と手動ポンプ、トイレを設置しているが、本当に重要なのはその井戸とトイレを地域全体で大切に有効に使っていくという姿勢としくみを育むことだ。地元の住民や学校の先生たち、行政の担当官も参加する管理委員会を結成して、建設の過程にも協力してもらいながら、同時進行で維持管理の方法を指導している。この委員会はジェンの支援した設備を管理するだけでなく、今では過去に故障したまま放置されていたポンプを修理して、使える井戸を増やしている。壊れて使えないと思っていた井戸が、自分たちの手で簡単な修理をして使えるようになった。住民たち自身が、このような小さな発見と改善を繰り返し、自分たちの力に自信を持つようになるまでの過程を支援することが、自立発展性につながっていく。
2011年には、スーダン南部で北部からの独立を問う国民投票が予定されている。人々がどう判断するかはわからないが、紛争が再開することがないように、平和が続くための判断をして欲しいと願う。大切なことは、住民自身が生活と治安が改善の方向に向かっていることを実感し、それが続くのを希求することだ。紛争が終わったのに、安全な飲料水やトイレの不足から病気が流行したり、子どもの教育環境が整わなかったり、病院などの社会サービスがむしろ悪化したりするようでは、冷静な判断は望めない。今こそ、住民が自分たちの力に気づき、自信を高めながら自立に向かうための支援が求められている。(JEN海外事業部次長 平野敏夫)
■□■インフォメーション■□■
新潟県中越震災から5年半。被災地であった池谷・入山地区は震災の被害からよみがえりました。そして今、6世帯中4世帯が高齢者世帯の「限界集落」であるこの地域が、過疎を超えて存続するための取り組みを進めています。
2009年を迎え、集落の10年後の姿を見据えた「地域復興デザイン計画」が発表されました。JENはその計画の中で、2005年以来継続してきたボランティア派遣を通じた集落の活性化をサポートしています。村おこしボランティアでは、集落の存続にとって基盤となる稲作や村の環境を整えるお手伝いをします。JENのフィールドで、「池谷・入山の挑戦」に直接参加してみませんか?
○JEN新潟支援プロジェクト『村おこしボランティア2009』
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