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「誇らかにあれ、ピョートルの市よ、そして、ロシアのごとくゆるぎなく立て」(谷耕平訳)
ロシアで今も愛され続ける19世紀の国民詩人プーシキンの叙事詩「青銅の騎士」の一節である。
「青銅の騎士」とは、ロシアの「西欧への窓」にするためにサンクトペテルブルクを築いたピョートル大帝の記念像のことだ。この「水と白夜の都」の中心部、バルト海へと流れるネバ河畔のデカブリスト広場に立っている。
いまプーチン・ロシア大統領(50)の胸中にあるものも、「青銅の騎士」がうたいあげているような高揚感かもしれない。
5月末から6月初めにかけてサンクトペテルブルクでは、建都300年を祝う式典が開かれた。
世界から、ブッシュ米大統領をはじめ、主要国首脳会議(G8サミット)や欧州連合(EU)、さらには中国の胡錦涛国家主席ら40余りの首脳が顔をそろえた。イラク戦争後で初めて、世界秩序の再構築を本格的に話し合う首脳外交の場となった。
プーチン氏は、サンクトペテルブルクで生まれ育った。故郷での重要な国際舞台で無事ホスト役を果たしたことで、3年前に大統領となってから進めてきた、「強い国家」としてのロシアの再建に役立つ国際環境づくりという実利を前面に押し出した外交に、大きな区切りをつけた形である。
国際的にはあまり注目されていないものの、そのサンクトペテルブルクを舞台に、プーチン氏がまたも派手な政治ショーを演じた。政治手腕の本質を示すものとして、国内の関心はこちらの方がむしろ高いぐらいだ。
16日にサンクトペテルブルクのウラジーミル・ヤコブレフ市長(58)を、連邦政府の副首相に任命したことである。
ヤコブレフ氏は、プーチン氏にとって長年の政敵だった。
改革派指導者だったサプチャーク元市長のもとで、ともに第一副首相として働いた間柄でもある。旧ソ連国家保安委員会(KGB)の情報将校として長く旧東独に勤務した経験があるプーチン氏は対外関係、建設技師出身のヤコブレフ氏は産業政策を担当した。
だが、96年の市長選でヤコブレフ氏は、サプチャーク氏周辺の関与が取りざたされた汚職疑惑を攻撃し、当選する。
一方で、サプチャーク氏の選挙運動を取り仕切ったプーチン氏はモスクワに去り、クレムリンのロシア大統領府に入った。ここでエリツィン前大統領の後継者に見いだされ、2000年の大統領選に当選する。
二人の不仲は有名だった。サプチャーク氏に弓を引いたヤコブレフ氏をプーチン氏が、キリストを裏切った「ユダ」と評したという話すらある。
ところが、最高権力にのぼりつめても、プーチン氏は追い落としを急がなかった。
大統領就任後の最初の重要な地方選挙として、ヤコブレフ氏が再選を目指した市長選があった。プーチン氏はいったんは対立候補の擁立に動くが、ヤコブレフ氏への市民の支持が強いとみるや、さっさと関係を修復する。
480万の人口を持つ第2の首都であり、西欧に面して文化的な先進性を自認するサンクトペテルブルクの市民はモスクワの介入をきらう。プーチン氏は、故郷の空気を敏感に察知したのだろう。
それから3年、プーチン氏は真綿で首をしめるようにヤコブレフ氏を追いつめてゆく。
ヤコブレフ氏の「売り」は、専門の建設部門だった。主に民間業者の資金を使って住宅などの建設を盛んに進めた。しかし、同時に業者と市当局との癒着や汚職、犯罪もはびこった。
サンクトペテルブルクでのさまざまな事故の発生率は、5年間で30倍も上がった。欠陥住宅の多さや、地域暖房のトラブルがロシアで最も目立つ都市ともなった。
建都300年式典のためにプーチン大統領は、連邦予算から400億ルーブル(約1400億円)もの巨費を投じて歴史的な建物を修復した。だが、式典に関係ない町の道路などは、ほとんどがぼろぼろのままだった。式典に合わせてつくるはずの地下鉄も完成しなかった。
こうしたことを市民は、全国的に人気の高いプーチン氏ではなく、身近なヤコブレフ氏の責任であると考えた。支持は下がり、来年5月の市長選で3選を目指すことも、断念へと追い込まれた。
「マキャベリのプラグマティズムそのもの。政治上の目的は、日常のモラルの上位にあるという好例である」
それからヤコブレフ氏を市長から引きずり降ろすまでのプーチン氏の動きを、イズベスチヤ紙はこう評する。
ヤコブレフ氏に提案したのは、住宅・社会基盤整備担当の副首相である。住宅建設や基盤整備をはじめとする都市の運営に業績が上がらなかったのに、あえて逆手にとって就任をもちかけた。加えて「都市整備での功績に」と称して「祖国勲章」すら与えることにした。
人事の発表の舞台として、ロマノフ王家のすみかだったエルミタージュ宮殿が選ばれた。プーチン氏自身がサンクトペテルブルクに赴き、宮殿で全国の知事を集めて開かれる重要な催しである国家評議会の席で、ヤコブレフ氏の転身を明らかにするともちかけた。
これでは副首相就任を断れるはずがない。
ヤコブレフ氏の子飼いが後継市長になる道すら阻止しようとした、というのが、プーチン氏の意図に対する大方の見方だ。
市長選は9月に行われるが、ヤコブレフ氏を支持する勢力が新顔を立てようにも時間が足らない。すでにプーチン氏の後押しを得て選挙準備を進めてきた元女性副首相のマトビエンコ北西管区大統領全権代表が、世論調査でも有利な立場を固めつつある。
ヤコブレフ氏の今後の政治生命についても悲観論が大勢だ。
住宅・社会基盤整備担当の副首相とは、早い話、社会主義時代と変わらずに市場原理を無視して低く押さえられ、巨大な財政負担を生み出している住宅家賃や光熱費を、コストに見合う形へと大幅に引き上げる役回りである。
一般の国民だけでなく、その顔色を気にする地方の首長や12月に選挙を控えた下院議員らがこの改革に激しく抵抗するのは確実で、ヤコブレフ氏は勢い憤怒の矢面に立つことになる。
70%前後の支持率をずっと保ってきたプーチン氏が、来年3月の大統領選で再選されることはまず間違いない。だが、そうなっても、憲法の規定から選挙の後で現在の内閣は総辞職しなくてはならない。その際、ヤコブレフ氏が再任される可能性は限りなく低い。
目標をいったん設定したら、長期的展望のもとにタイミングを誤ることなく手を打ち、実現へと結びつける。相手の顔をつぶさず、むしろ立てる形で進んで苦い提案を受け入れざるをえない立場へと追い込む。
ここにはプーチン氏の冷酷ともいえる政治手腕の神髄が凝縮されている。
北方領土などの懸案をロシアとの間で抱えるわが国が、このプーチン氏と、次の任期が切れるまで5年近くつきあわねばならないのはほぼ確実である。ならば、ヤコブレフ氏の一件で示された手ごわさに深く思いをはせることも、無意味ではないだろう。
(2003/06/25)
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