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香港が中国に返還されて7月1日で6年がたった。
6年前のこの日、私は香港にいた。返還の瞬間を取材するためだった。
香港は前夜から早朝にかけて激しく、冷たい雨に見舞われた。
1日未明、英王室専用船ブリタニアが雨に煙るビクトリア湾から静かに去っていった。船には最後の香港総督、クリストファー・パッテン氏やチャールズ皇太子らが乗り込んでいた。乗船する前、パッテン氏は泣いていた。
パッテン氏が去り、中国人民解放軍の車列が篠突く雨の香港に入ってきた。少なからぬ香港市民が、傘もささずに兵士を熱烈歓迎した。中国の五星紅旗を振りながら。ここにも涙を流す人がいた。
155年に及ぶ英国統治が終わった、まさに歴史的な一日だった。しかし、今になっても私に鮮明なのは、あの日、香港が大雨だったということだ。
自由都市香港が社会主義中国にのみこまれ、香港の奔放な魅力が失せる。返還前後にそんな恐れを抱く人が多かった。
香港に住んだ経験のある私は、香港の友人や知人の行く末を心配しないわけではなかったが、中国と英国の狭間で、したたかに、そしてたくましく生きてきた彼、彼女たちがそんなにヤワな人たちではないとも確信していた。ただ、香港は中国の一部になった以上、どんどん本土と一体化していくのだろうとも予感した。
その後の香港は、未曽有の経済危機に見舞われたり、上海の躍進のあおりを受けたりして、東洋の真珠といわれたその輝きは失われたと見る人も少なくない。確かに、香港を見限り移民した友人も少なくない。だが、ほとんどの香港人は今も香港で暮らし続けている。新型肺炎SARSが猛威を振るっても。
返還から6年たったその香港でいま最も注目されているのは、香港のミニ憲法といわれる基本法の23条に基づく「国家安全条例」の取り扱いである。
基本法は国家の安全(国家とは言うまでもなく中華人民共和国)への脅威となる事態を防ぐための条例制定を求めている。だから、中国に戻った香港の当局が条例化に動くのは当然のことだが、この条例が対象とするのは反逆、扇動、転覆、国家機密窃取に加え、法輪功など中国大陸で禁じられている組織への規制も含まれている。
何でも取り締まることができそうな条例だ。だから、香港の民主派だけでなく米国やカナダなど一部の外国政府も、香港の自治が損なわれかねないと国家安全条例制定に憂慮を表明する。
6年前と同じ、自由をめぐる議論だ。しかし、香港はもはや英国植民地ではない。中華人民共和国の一部である。この条例案は7月9日に通過しそうで、もう止めるには遅すぎるだろう。
香港住民がしたたかと言っても、この厳しい条例の前に立ち向かうのは難しい。1日に条例に反対する抗議集会が、返還後最大規模の集会として開かれたのは、この条例が香港の自由を犯しかねないという危機感の表れだろう。
一方で、香港の経済界を喜ばせたニュースもある。
中国政府と香港特別行政区政府が6月29日に結んだ経済協力協定である。中国語では「内地與香港関於建立更緊密経貿関係的安排」、英語では「The Closer Economic Partnership Arrangement」(CEPA)という。
この協定は、香港から中国本土への輸出品273品目に対する関税を来年からゼロにすることのほか、不動産や銀行など17分野のサービス業を香港企業に優先開放することなどが盛り込まれている。免税により香港側に年間約110億円のメリットがあると見込まれている。中国による香港経済のてこ入れといえよう。調印式に出席した温家宝首相は「香港の経済回復に役立つことを期待する」と語った。
「国家安全条例」は治安面、思想面で香港と大陸の一体化というか、大陸化をはかるものとすれば、経済協力協定は、経済の一体化、大陸化を進めるものだ。
こうやって香港はかつての色が薄まり、大陸の色に染められていくのだろう。その流れをおしとどめるものは当面見あたらない。そういえば、7月1日は香港返還記念日であると同時に中国共産党結党記念日だった。
(2003/07/02)
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