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【ワールドウオッチ】
 
がれきに込められた意味

写真集「ワルシャワ1945」より。尖塔が立つ聖アウグスティヌス教会のシルエットを残して一面のがれきの野となったゲンシャ通り
同じく、壁が砲弾だらけとなった建物ががれきの山の間に立つ、ワルシャワ蜂起者広場からスベントクシスカ通りにかけての光景
「20世紀の目撃者LIFETIME」(光文社)より。ワルシャワ爆破後、果物を売る露天商

大野正美(論説委員)

 銃痕だらけの外壁を残して崩れ落ちた家、がれきの山のかなたにただ一つ残った尖塔をいただく教会の黒いシルエット、ぼろ切れと土の塊のようになった死体が無造作に並ぶ虐殺現場。

 ロンドンに亡命していたポーランド政権を支持する地下軍が、ドイツ占領軍に対してワルシャワ蜂起を起こしてからこの8月で60年が過ぎた。蜂起のあと、反撃に転じたドイツ軍はヒトラーの命令を受けてワルシャワを徹底的に破壊した。その姿を記録した写真集「ワルシャワ1945」には、こうした光景が280ページにわたって収められている。

 この写真集を手に入れたのは、1987年夏にワルシャワを訪れた時だった。レオナルド・センポリンスキーというポーランドの写真家が、蜂起で廃墟となった45年当時のワルシャワの街を撮影したものだ。出版はそれから40年後の85年となっている。

 写真集の解説によると、第2次大戦が始まる前に130万7000人いたワルシャワの住民は、蜂起までの5年間のドイツ軍占領中に92万人にまで減っていた。占領軍によるレジスタンス兵士の射殺や、ユダヤ人らを「絶滅収容所」へ移送したことなどの結果だ。

 さらに、8月1日に始まって63日間続いた蜂起で15万人の住民が死亡したと、この写真集の解説は書いていた。しかし、最近は死者数について20万人という、もっと大きな数字が使われている。

 また、蜂起を鎮圧するためにドイツ軍は砲撃や火炎放射器をなんのためらいもなく使ったため、ワルシャワの建造物の85%、工業施設の95%が破壊された。機械や設備、貴金属、布、家具といった個人の所有物はことごとくドイツへと持ち去られた。

 ドイツの占領から無血解放されたパリとは対照的に、ワルシャワはほぼ完全に破壊し尽くされた連合国側の唯一の首都となった。蜂起の凄惨な記憶は、60年がたった今も欧州大陸の上に重苦しいわだかまりとなって残っている。

     ◇

 この点で「ワルシャワ1945」には注意を引くことがある。当時、ドイツ軍による蜂起の鎮圧が続くワルシャワ旧市街の目前を流れるビスワ川の対岸まで進軍してきたソ連軍は、蜂起をいっさい援助せず、ワルシャワが灰燼に帰するにまかせた。この事実に、まったく触れていないのだ。

 写真集が出版された85年のポーランドは、「連帯」労組を弾圧した戒厳令のあと、反体制派の拘留は取り消されたものの、なおきびしい監視が続いていた。当然、同盟関係にあったソ連の非を公然と取り上げることはできなかったのだろう。

 しかし、あのころからも20年近くが過ぎた。ソ連も社会主義圏もすでになく、ポーランドはいまや、北大西洋条約機構(NATO)と欧州連合(EU)の一員である。そうしたおりに迎えた60周年の記念式典が、蜂起の歴史的意義を考える重要な機会となったのは当然といえる。

 ワルシャワで開かれた式典のハイライトは、元敵国のドイツからシュレーダー首相が出席したことだった。蜂起50年の94年の式典に当時のヘルツォーク独大統領が出たことはあるが、政治的実権を持つ首相の出席は今回が初めてである。

 シュレーダー氏は6月にも、連合国がドイツに対して欧州戦線で反攻に転じた仏ノルマンディー上陸作戦の60周年記念式典に出席している。続いてワルシャワ蜂起の式典にも出ることで、第2次大戦でドイツが欧州に抱えた負の遺産を清算し、自分の名を後世に残そうという意図は明白だ。

 「今日、私はナチス軍の犯罪を前に恥辱に頭をたれる。ポーランドにとっては誇り、ドイツにとっては恥辱であるこの場所で、私は和解と平和を望む」

 シュレーダー氏は式典の演説でこう語ったが、別の意味で注目されるのは次の一節だ。

 「ポーランドのレジスタンス勢力はドイツ占領軍を自分たちの力でうち破れないことを知っていた。しかし、自由なポーランドをつくろうという念願にあくまで忠実であり続け、蜂起の間近で待機していたソ連占領軍からも独立を守ろうとした」

 これは、ドイツと同じようにロシアにとっても重荷である蜂起でのソ連軍の行動に触れ、ドイツの責任を相対的に軽くすることを狙った発言と見ることができる。

     ◇

 そのロシアのプーチン大統領は、2002年1月17日にワルシャワを訪れ、蜂起の主役になった亡命政府指揮下の国内軍の記念碑に献花している。蜂起に傍観を決め込んだソ連軍が最終的にドイツ軍の手からワルシャワを「解放」した日から57年後にあたり、ロシアとしても蜂起の犠牲になった人々に敬意を示す形をとった。

 それでも、プーチン氏はこの時、「ざんげも大事だが、双方の共通の過去と未来を見つめよう」とも語り、公式的な謝罪は避けた。大元帥としてワルシャワ蜂起に対するソ連軍の行動を最終的に決めたスターリンは確かに圧制を行ったが、それとナチス・ドイツの犯罪は「同一視できない」というのが、プーチン氏の立場だ。01年に大統領に大統領になって以来、大国ロシアの復活を統治の目標の一つに掲げてきただけに、国民の誇りを傷つけかねないそれ時代の歴史の見直しは簡単にはできない。

 今回の蜂起記念式典にプーチン氏もポーランド政府から招待を受けたが、出席しなかった。代わりにプーチン氏がクワシネフスキ大統領にあてて送ったメッセージは、ワルシャワ蜂起を「ナチズムに対する勝利に重要な貢献をした」とたたえ、「ポーランドの戦士の勇気と自己犠牲はロシアでも常に高く評価されてきた」と強調している。

 その上で、「欧州大陸をより安定した進歩と協力の空間とするために歴史の教訓を生かそう」、「歴史家の共同作業を通じて歴史を見るステレオタイプやアナクロニズムを克服しよう」とプーチン氏はポーランド側に呼びかけた。

 とはいえ、蜂起の時のソ連軍の動きについてメッセージはまったく触れていない。

 記念式典への神経質な対応は、米英もロシアと同様である。

 蜂起したワルシャワ市民に対して米英は支援物資の空輸を計画したが、支配空域の使用を拒否したソ連軍に、強く翻意を求めようとはしなかった。

 米英は、欧州戦線で最終的にドイツに勝利するにはソ連軍の力が不可欠との立場を取っていた。仮にポーランドの亡命政権が起こしたワルシャワ蜂起を本格的に支援し、かいらいの社会主義政権を樹立するというスターリンの思惑とぶつかって対ドイツ包囲網が乱れるのは避けたい。こうした冷徹な国際政治のリアリズムに立った対応を、米英が選択したことも事実である。

 式典に際してポーランドのベルカ首相は、「英国はじめかつての同盟国は蜂起の歴史を正しく認識し、支援を怠ったことに遺憾を表明するべきだ」と語った。しかし、英国を代表して式典に出席したマクシェイン欧州担当相は「歴史を正しく認識することは大切だが、英政府の謝罪が必ずしも必要とは思わない」という考えを示した。

 記念式典に英国のブレア首相は出席せず、米国もブッシュ大統領ではなくパウエル国務長官を派遣したことにも、60年を経てなおくすぶるしこりが見てとれる。

     ◇

 ワルシャワ蜂起への関係国の対応が、いつまでもすっきりしない背景には戦後補償の問題もある。

 蜂起の鎮圧でドイツ軍が都市と市民に与えた甚大な被害については、50年代にポーランド政府が戦争による損害への賠償をドイツに請求することを放棄した時に、合わせて補償請求を放棄したと考えられている。

 ところが両国間には、第2次大戦後にポーランドから追放されたドイツ人が、没収された土地や家屋など財産の返還を求めている問題もある。蜂起の記念式典でシュレーダー首相は、「ドイツ政府がこうした返還要求を支持することはない」と明言した。

 しかし、追放されたドイツ人らでつくる団体は首相の発言に猛反発し、この秋にも財産の返還をポーランド政府に求める訴訟を、ポーランドの裁判所と欧州人権裁判所に起こす考えを表明した。

 これにはポーランド側も黙っていない。それなら、一度は放棄したドイツ軍による破壊への補償請求を蒸し返すことも考えるべきだという動きが、ワルシャワ市などにある。同市の特別委員会は、ドイツ軍による被害は全部で1兆ドルにものぼるとの試算を出した。

 カチンスキー・ワルシャワ市長は、こうしたポーランド側の動きをおさえるために、「シュレーダー首相は追放ドイツ人の財産返還要求を支持しないことを、言葉だけでなく、文書でも保証するべきだ」と求めている。

 補償問題はポーランドとロシアとの間にも影を投げかけている。

 独ソ不可侵条約の付属秘密議定書に基づいて41年にソ連がポーランドに侵入したあと、ソ連軍の捕虜になったポーランド人将校の大量の死体が、ソ連西部のスモレンスク近郊で43年にドイツ軍の手によって見つかった。いわゆる「カチンの森事件」だ。

 事件はソ連とポーランドの亡命政権との関係を悪化させ、ワルシャワ蜂起をソ連軍が傍観する一因にもなった。91年にゴルバチョフ・ソ連共産党書記長がソ連に責任があることを公式に認めたが、この事件をはじめ、スターリンの圧制によってポーランドがこうむった損害は、まだ事実調査が緒についたばかりの段階にある。

 ワルシャワ蜂起でのソ連軍の動きにプーチン大統領が何らかの見解を示せば、スターリンの圧制がポーランドに与えた損害の補償問題にも影響が及ばざるをえない。このことも、蜂起記念式典メッセージの慎重な表現につながったと考えるのが自然だろう。

     ◇

 式典ひとつとっても、その舞台裏では関係国のさまざまな思惑や計算が錯綜している。

 戦後のドイツは初代アデナウアー首相いらい、大戦の結果とナチスの被害者に特別の道義的責任を負うことを国家の倫理的基盤としてきた。

 逆にソ連は、戦前から戦後にかけてのスターリンの大国主義的で横暴な対外政策に目をつぶった結果、国家の倫理的基盤を掘り崩し、国際社会での信用も失った。そうした傾向はソ連が崩壊した後しばらくのあいだ影が薄くなったが、最近になってソ連の対外政策の武器のひとつだった国家保安委員会(KGB)の出身であるプーチン大統領のもとでの復活を危惧する声も出ている。

 にもかかわらず、関係国の指導者たちが歴史と向き合い、かつて欧州の破壊を招いた民族感情の爆発と不振の悪循環が息を吹き返すことがないよう、努力を重ねていることも、蜂起60周年にからむ一連の動きから読みとるべきだろう。

 プーチン大統領のメッセージも、ポーランド国民のロシアに対する悪感情の背景にスターリンの大国主義があることを十分理解したうえで、偉大さと悲惨さの両面をあわせ持つスターリン時代の清算が、なおもできずにいるロシア国民の感情への配慮と、どう折り合いをつけるかで、おおいに苦労したことが感じられる。

「通商や人の行き来を広げ、国境の意味がなくなるようにする。関係国をしっかりと拘束し、支持も受けられるような政治、経済的枠組みを地域につくる。平和の利益の大きさで没収財産をめぐるいさかいを静め、個々の請求は裁判で決着させる。そして何よりも、苦悶に満ちたものであろうと歴史は消しされないことを受け入れつつ、ともに未来を志向すれば克服は可能である、という信念を持つことだ」

 ワルシャワ蜂起60周年を受けてニューヨーク・タイムズ紙のロジャー・コーエン記者は、ポーランド人とドイツ人という宿怨の間柄が和解できるのなら、敵対するイスラエル人とパレスチナ人も和解は可能だとし、そのための具体的な方法をこのように書いた。

 ポーランドがドイツと共にEUとNATOに加わり、そのEUとNATOとの建設的な関係をロシアが探ることは、安定の強化志向という冷戦終結後の欧州を貫く太い流れの一つである。ワルシャワ蜂起のような苦悶の歴史の節目でも、関係国の指導者たちが自国民の感情に配慮しつつ、未来志向で克服を目指す構図は変わらない。

 むしろ様々な歴史の傷を抱える市民たちが、意味の軽くなった国境を気軽に越えて常日ごろ行き来し、ひとつ間違えれば過去の傷がたちまち牙をむきやすい欧州だからこそ、指導者たちは鋭敏な歴史感覚を備える必要があるのだともいえる。

 海が隔てる国境と、世界でただ一つ残る冷戦構造という障壁に守られてきた日本に目を転じると、指導者たちが過去の戦争に対する歴史感覚をとぎすまさなくとも、東アジアの一角でそれなりやってこられたように思える。その分、日本人は、「ワルシャワ1945」のがれきの山の中に込められた意味を、解析するのに骨が折れるのかもしれない。 (04/08/29 15:09)


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