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大野正美(論説委員)
ピョートル大帝いらいの海軍の要塞とは別に、クロンシュタットが持つもうひとつの顔が、20世紀のロシアで革命運動の拠点の一つとなったことである。
1905年の第一次革命では要塞兵士1500人、艦隊水兵3000人が反乱を起こした。1917年の十月革命ではクロンシュタット労兵ソビエトが武装部隊をペテルブルクに派遣して有力な推進勢力となり、内戦期にも多くのソビエト権力の組織者を生み出した。
1917年3月から1919年12月までクロンシュタット・ソビエトが置かれた建物は、今も海軍の将校会館として残っている。
クロンシュタットの名をひときわ輝かしく歴史にとどめるのが、1921年に水兵たちが起こしたソビエト政府に対する反乱だ。
食料・燃料危機の打開を求める工場労働者のストライキに同調した水兵たちは、秘密選挙、言論・集会の自由、政治犯の釈放、農業や家内工業の自由といった15項目の要求を掲げ、3月にはクロンシュタット・ソビエトの大会で共産党幹部を逮捕し、臨時革命委員会をつくった。
だが、レーニン率いるソビエト政府はこれを白衛軍や外国勢力に通じた反革命反乱と見なして徹底的に鎮圧した。6000人もの水兵が死亡した。
それでも十月革命の栄光を担う水兵たちが反乱を起こした事実が持つ衝撃はすさまじかった。レーニンは新経済政策(NEP)で農民との妥協を迫られた。その後も蜂起は、ソ連の社会主義の実際のあり方を問ううえでの重要な契機を世界に提供し続けてゆくこととなる。
さて、クロンシュタット中心部の広場にあるモルスコイ大聖堂の軍事史博物館では、町とここの要塞を舞台にしたバルト艦隊の歩みが興味深いしかたで展示されている。
それをひとことで言えば、起きたことは起きたことと、事実としてすべてを認め、その事実の間に価値の優劣をつけないという態度だ。
展示の中の日本にもなじみ深い顔としては、日露戦争の開戦直後に旅順で機雷に乗艦が触れて壮絶な最後をとげた太平洋艦隊司令官、マカロフ提督がいる。
「ああよしさらば、我が友マカロフよ 詩人の涙あつきに君が名の さけびにこもる力に願わくは 君が名、我が詩、不滅の信とも なぐさみて、我この世にたたかはむ」という明治の歌人、石川啄木の詩が添えられているのが印象的だ。
日露戦争に従軍していてマカロフ提督とともに命を落とし、幸徳秋水ら日本の非戦論者に追悼された戦争批判の画家ベレシチャーギンの写真もある。
1825年、デカブリストの乱に参加した将校をクロンシュタットの軍艦上で処罰する展示や、この軍港から日本に向けて出発し、ちょうど150年前の1855年に日露通好条約を結んで国交を開いたプチャーチン提督の展示も興味深い。
ちなみに、プチャーチン提督の乗ったディアナ号は条約の交渉中に静岡県富士市の田子の浦沖で難破したものの、伊豆半島の戸田で日本側の協力も得て新しい船をつくり、帰国の途につくことができた。このことを記念する碑が今年の夏、クロンシュタットに日本の民間団体も加わって建てられるそうだ。
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博物館が20世紀のコーナーに入ると、バルト艦隊の巡洋艦オーロラの砲撃で火ぶたを切った十月革命の展示に、クロンシュタット反乱の展示が続いている。
さらには、1994年1月10付けでこの反乱に加わった水兵を「不法な、基本的人権に反する弾圧を受けた」として名誉回復し、犠牲者の記念碑をクロンシュタットに建設することを決めた当時のエリツィン大統領の大統領令の写真も添えられている。
クロンシュタットとしては、ピョートル大帝に始まる帝政下の栄光も、第1次大戦でサンクトペテルブルクの名がペトログラードとなり、さらに革命でレニングラードに変わった後も、一貫してその防衛に貢献してきたソビエト政権下の栄光も忘れることはできないのだろう。
むしろ、軍が急速に権威を失ったうえ、経済混乱で兵士の窮乏も進んだペレストロイカからソ連崩壊に続く歴史の方が、いま博物館で売られているクロンシュタットの歴史案内書の中で、モスクワ大公のにせ皇子ドミトリーを軸に17世紀初頭のロシアで繰り広げられた「スムータ(大動乱)」にたとえられているように、地元のとらえ方は否定的なようだ。
事実に徹した展示は、そうした複雑で矛盾に満ちたクロンシュタットの歴史を一カ所で同時に見せるうえでの知恵といえるかもしれない。
第2次大戦時の潜水艦S−13の艦長アレクサンドル・マリネスコの展示もある。ちょうど60年前の1945年1月30日、バルト海でナチス・ドイツの誇る豪華客船ビルヘルム・グストロフ号をS−13から発射した魚雷で撃沈した。90年に当時のゴルバチョフ大統領は、マリネスコにソ連英雄の称号を贈った。勤務したクロンシュタットには彼の記念像もできた。
だが、一方でグストロフ号は、ナチス・ドイツの将兵のほか、迫りくる赤軍の進行から逃げだそうとする旧ドイツ領の一般市民も乗せており、攻撃で出た9000人以上の死者の多くもそうした人々だった。
日本で2003年に翻訳が出たドイツのノーベル賞作家ギュンター・グラス氏の小説「蟹の横歩き」は、その攻撃の非人道的な側面を取り上げ、大きな反響を呼んだ。
マリネスコの記念像の写真展示を地元の母娘らしい二人が見ていた。果たしてどのくらい彼のことを知っているのだろう。
動乱と革命を果てしなく繰り返してきたロシアの歴史が実にとらえがたいように、クロンシュタットの歴史をあらためて整理し、だれもが納得できる評価を確立するまでには相当な時間がかかりそうに思える。
軍事史博物館を出て教会の前の広場に行くと、第1次大戦直前の1913年7月に除幕式が行われたマカロフ提督の巨大な記念碑が立っている。提督を日露戦争で旅順港の太平洋艦隊に派遣し、後にソビエト政権に処刑された最後の皇帝ニコライ2世も、この除幕式に出席したと碑には書いてある。
ちょうどロシア海軍の水兵たちが記念碑の見物にきていた。みな、若々しい笑顔を見せて説明に聴き入っていたが、クロンシュタット300年の歴史をどうとらえているのか、その表情から推し量るのはむずかしかった。
(05/01/26 10:08)
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