イタリア映画祭2008トップへ

アサヒコムトップへ
メッセージ
繊細で深く軽やかな、心ある風格 著:岡本太郎
 8年目のイタリア映画祭も、不思議なほどの収穫に恵まれた。

 今や(若き)巨匠の名に相応しい、拡張や深みと細やかで軽妙な優美さを併せ持つマッツァクラーティとソルディーニの白眉の2作品「まなざしの長さをはかって」と「日々と雲行き」は、映像の芸術性、作品世界の現実性と超現実性、軽やかで豊かなパトス、個性的で自然な語りの自在なテンションと物語としての魅力、カタルシス、そのすべてで、きわめて普遍的な映画の醍醐味を堪能させてくれる。

 かと思えばアンジェリーニとモライヨーリの「潮風に吹かれて」と「湖のほとりで」の2つの処女作は、(もっと)若き日の彼らを髣髴とさせる。静かな印象の揺らぐ風景の中で、主人公たちの人生が触れあってはすれ違ってゆく時の、優しく哀しい心模様が描かれる。ともにみずみずしく、さわやかな情感にあふれ、奥深い感動と余韻を残す名品だ。

 「いつか翔べるように」で、混沌と明暗が共生するインドを舞台に選んだアルキブージは、いつもの彼女らしい感性で、思春期を通り抜けようとして大人の壁にぶつかる少年たちの心のひだとうつろいを表す、蒼くやわらかな色彩と陰影で魅了する。一方、ザナージは「考えてもムダさ」で、何かを放り出して手にした青春の(栄)光が薄らぎつつある(元)青年の困惑と、家族の絆や人生の意味を再発見するかもしれない、コミカルでアイロニカルでリアルな日々を、ほどよく感傷的に映し出す。

 メロドラマの達人、オズペテクは「対角に土星」で、ゲイのカップルを軸に、いくつもの痛みや愛や信頼と裏切り、喪失と欠落、渇望と幻滅の交錯する、ひたすら劇的な恋愛の葛藤を正面から描ききった。統一運動の怒涛に巻き込まれたシチリア貴族の物語として、イタリアとイタリア人のあり方を、堂々と痛烈な皮肉をこめて豪華な歴史劇に仕立てたファエンツァの「副王家の血筋」は、本国で賛否両論の物議を醸した話題作だ。

 やはり歴史的背景を有する物語を素材にしつつ、常に叙事詩的な筆致で人々の生き様を物語るタヴィアーニ兄弟の「ひばり農園」は、時代の流れを強く感じさせ、重厚でスケールの大きな、彼ら一流の宿命論的な文体が全編に息づく荘厳な悲劇になっている。そして、これをもって畢竟の作とするオルミの境地を示す「百本の釘」は、キリスト教の精神を現代の、ある種、ポー河沿岸域だからこそ成り立つのではないかと思える寓話として撮り上げた、厳しく、純粋ながらも奇妙にほのぼのとした優しさや、おかしみすら伴う、特異で神秘的な映画だ。