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イタリア映画祭2009

イタリア映画の世界を読み解く鍵

文・岡本太郎

目と耳に自由に訴え、霊感溢れる自然や都市の風景があり、人の顔や声や仕草があり、物語のある映画がイタリアの名産品として地上に返り咲いてはや十年程になるが、この一年の更なる進化と多様性には、改めて驚かされる。

かの政治大国にあって与党キリスト教民主党に神がかり的に君臨したアンドレオッティ元首相の“類稀なる人生”を、シュールなまでにピカレスクに観せるソレンティーノの超絶的な「イル・ディーヴォ」。カモッラによる組織犯罪が日々の通奏低音と化したナポリの凄まじい顔を、街に生きる者の生活から虚飾も容赦もなく浮かび上がらせたガッローネ渾身の「ゴモラ」。若き二大巨匠の作品はカンヌ映画祭を震撼させた。

サルデーニャ特有の土や風の匂いとゆるやかな時の流れと命の温もりの中で羊飼いの少年の生きざまを見つめるメレウの叙事詩「ソネタウラ−“樹の音”の物語」と、映画芸術の可能性を追求し続けるベンヴェヌーティが、トスカーナの美しい湖畔を舞台に光と影と音楽の風雅な時を現出させる「プッチーニと娘」の、滔々とイタリア的な詩情。

パゾリーニを思わす乾いた寓話風の直観的な語り口で奥アマゾンの悲劇を綴るベキスの「赤い肌の大地」と、ドキュメンタリーやネオレアリズモの持つ観る者の感情をじかに揺さぶる端的な映像言語でマフィアに立ち向かった少女の抗う魂を描いたアメンタの「運命に逆らったシチリアの少女」の感動と衝撃。

あり得ない夢を胸にパリから来た道化師とルーマニアのマンホールチルドレンの凍てつき、温かく、熱く、哀しく、優しい心の物語を、実話に基づいて映像化したポンテコルヴォの「パ・ラ・ダ」と、やはり80年代ミラノの史実をもとに、元精神病患者たちと彼らの共同体に配属された革新的労働組合員の、やはり夢のような現実のような信じがたい野望の顛末を、本物の涙と笑いで物語るマンフレドニアの「やればできるさ」が思い出させてくれるイタリア映画の良心。

そしてイタリア式喜劇の怒涛の奔流を体現するヴィルツィが「見わたすかぎり人生」で、才色兼備のスーパー新卒女子を主人公に非正規労働問題を縦横無尽に説き、初の長篇監督作に挑んだ稀代の名優ベンティヴォッリョは、不思議の国にでも住んでいそうな目をした田舎のギター少年が往年のフェリーニ映画のような不可思議な世界に足を踏み入れてゆく飄々と絶妙な味わいの冒険譚「よせよせ、ジョニー」で魅了する。

卓越したテンポに闊達な台詞回し、しなやかな情感と共にうつろう恋愛の悲喜劇を女性のやわらかく鮮やかに醒めた視線で語るネグリの「私を撮って」はイタリアの今を語り、アヴァーティの「ジョヴァンナの父(原題)」は、ゴシックな憂いを帯びた郷愁のボローニャという銀幕映えする風景と大戦前後の波乱と人生の矛盾の中で翻弄される父と娘と母の姿を一見伝統的な独自の手法で表す。

どれもが異なる世界への扉で、読み解く鍵を探すのは映画の醍醐味だ。

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