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一番の感動は「重力」だった2005年11月28日 凜(りん)とした初冬の空気の中、星の輝きが増してきた。星は、古来変わらぬ姿で人々を魅了する。
しかし、ゆっくり動く星のように見えるのは、実は米ロ2人の宇宙飛行士が暮らす国際宇宙ステーションかもしれない。太陽の向こう側には、小惑星のかけらを採る作業を終えたばかりの日本の探査機「はやぶさ」もいるはずだ。 地上から仰ぎ見るだけだった宇宙は、この半世紀で、行って、見て、さわるものになった。多くの人を悩ませてきた宇宙の始まりや果ても、少し見えてきた。その分、謎もまた深まったけれど。
向井千秋(むかい・ちあき)(53)は94年、日本人女性で初めて、米国のスペースシャトルで宇宙飛行をした。千秋を描いた著書「君について行こう」(講談社)がベストセラーとなった医師の夫、万起男(まきお)(58)には、忘れられない光景がある。 宇宙から戻った夜、ヒューストンの自宅で、千秋はおかしなことばかりしていた。にぎりずしをつまみ上げては落とし、じっと見る。雑誌のページをめくっては、ぱらぱら落ちるのを飽きもせずに見る。そんな姿を見て、万起男は「何やってんだお前」と笑った。 15日間の無重量状態から戻った千秋の心をとらえていたのは、宇宙から見た地球の美しさなどではなく、初めて実感した地球の重力だった。しばらくたって万起男が「宇宙飛行で一番感動したのは何」と尋ねると、返った答えは「重力」。ヘレン・ケラーが、井戸の水に触れて水という「言葉」を発見したように、千秋は「重力」を再発見したのだと万起男は気づく。 夫婦のうち、宇宙に先に興味を持ったのは万起男だ。子供のころからガガーリンにあこがれ、愛読書は立花隆(たちばな・たかし)(65)の「宇宙からの帰還」(中央公論新社)。出張先で発作的に読みたくなり、そのつど買うから家に6冊はある。 83年、日本人宇宙飛行士募集の新聞記事も万起男が先に見つけた。だが、医者をやめたら病理医としての実績を自ら否定することにならないか。悩んで、ついに踏み切れなかった。 千秋は、同じ病院の心臓外科医だった。俳優の石原裕次郎(いしはら・ゆうじろう)の担当医も務めたことがある。新聞の募集記事を見て初めて、「宇宙から地球を見たい」と思った。「世の中を変えるのは熟慮する人間ではないと痛感した」と万起男。 千秋は85年、毛利衛(もうり・まもる)(57)、土井隆雄(どい・たかお)(51)とともに、日本初の宇宙飛行士に選ばれた。最初は92年に毛利が飛び、千秋は2番目。98年にも、米国人で最初に地球周回飛行をした上院議員ジョン・グレン(84)と一緒に飛び、当時77歳のグレンと医学実験をした。 ただ、「ジレンマはあった」という。スペースシャトルの飛行には1回数百億円の金がかかる。それで新しい薬を開発した方が人類に役立つのではないか。 ふっきれたのは、宇宙から地上を見たときだ。「砂漠から山の中まで、その地で一生をすごす人たちのことを思ったら、私たちがこうして宇宙で新しい経験を積む意味はある」。そう思えたのだ。 宇宙から国境が見えることも新鮮な驚きだった。アマゾン川流域では、開発の有無で国境がわかる。道路が暗いのがドイツで明るいのがベルギーだと、同僚のベルギー人飛行士が教えてくれた。
そうした千秋の宇宙体験が、万起男の手でエッセーにつづられる。多くの宇宙飛行士はプライドもあり、宇宙酔いしたことを自ら語らないが、千秋は「吐いた」とあっさり。率直な千秋と、軽やかな万起男。宇宙を語る絶妙のコンビである。 結婚して今年で20年目。千秋は今、フランスの国際宇宙大学で宇宙利用について教える。万起男は慶応大学病院の病理診断部長である。千秋の単身赴任が長く、一緒に暮らしたのは2年半ほど。退職したら、2人でじっくり「宇宙」の話をしたい。万起男の夢だ。 (このシリーズは論説委員・辻篤子が担当します。本文は敬称略)
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