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ニッポン人脈記

野球、海を渡る

2006年01月23日

 あと1人だった。

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江夏豊さん

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レジー・ジャクソンさん(左)と松井秀喜さん

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96年、ノーヒット・ノーランを達成した野茂英雄さん

 1985年、4月2日。江夏豊(えなつ・ゆたか)(57)は、米国パームスプリングスのマウンドに立った。エンゼルスとブルワーズのオープン戦。江夏はブルワーズの救援投手として、4回から登板した。

 前年オフ、西武ライオンズを自由契約になった。監督の広岡達朗(ひろおか・たつろう)(73)との確執があった。「まだ燃え尽きていない」との思いが、江夏にはあった。ブルワーズのキャンプに招待選手として参加する。日本のプロ野球で206勝193セーブを記録した反骨のサウスポーは、このとき36歳。全盛期を過ぎていた。

 遅れてきたルーキーは、制球を武器に健闘した。メジャーの候補に残った投手は11人。投手枠は10人。エンゼルス戦で好投すれば、64年の村上雅則(むらかみ・まさのり)(61)以来の日本人メジャーリーガーが誕生するはずだった。

 分岐点は5回2死二塁だった。打席にレジー・ジャクソン(59)が立った。77年、ドジャースとのワールドシリーズ第6戦で3本塁打するなど大舞台に強く、「ミスター・オクトーバー(10月)」と呼ばれたスラッガーだ。

 カウント1―1から江夏はチェンジアップを投げる。「ファウルを打たせて2―1にするためのつり球やった」。江夏は投球の組み立てを鮮明に覚えている。ボールがわずかに中に入った。中前にはじき返された。敗戦投手となった。

 試合が終わり、ジャクソンが江夏に自分のバットを手渡した。「グッドラック」とひとこと。「『ここまでだ。よくやったが、もう日本に帰れ』という意味だった。腹も立ったが、武士の情けのようなものも感じた」と、江夏は振り返る。翌日、江夏は不採用を言い渡された。

 それから10年後、95年5月3日の夜明けだった。江夏は、都内のホテルでテレビの衛星中継に見入っていた。映し出されているのはサンフランシスコのキャンドルスティックパーク。ドジャースの野茂英雄(のも・ひでお)(37)が先発のマウンドに立っていた。江夏は、6日前に仮釈放で静岡刑務所を出たばかりだった。

 93年3月2日、江夏は覚せい剤所持の容疑で逮捕された。懲役2年4カ月の実刑判決が下された。野球を奪われた空洞を、彼は埋めきれなかった。

 江夏にとって、野茂は特別な存在だった。2人とも大阪の出身。江夏は大阪学院高、野茂は成城工高。甲子園大会の出場はなく、どちらも群れることを嫌う。江夏は野茂を弟のように感じ、野茂も江夏を慕っていた。江夏がブルワーズに挑戦した時、通訳を務めたのは団野村(だん・のむら)(48)。野茂を大リーグに送り出した代理人も野村だった。

 「真っすぐやな」。江夏は声に出して、野茂の大リーグ第1球を予想した。その通り、ストレートで、野茂は第一歩を踏み出した。「夢は見るもんやない。追いかけるもんや。もう、同じ間違いはしない。まっすぐ、顔を上げて生きていこう」。野茂のデビューに、江夏は自らのこれからを重ねた。

 03年2月、松井秀喜(まつい・ひでき)(31)はヤンキースのキャンプ地、フロリダ・タンパにいた。そのフリー打撃に、初老の男が鋭い視線を送っていた。

 85年に江夏の野望を砕いたジャクソンである。ヤンキースの特別アドバイザーとして、キャンプ地を回っていた。

 「パワーのロスのない振りだね。三振をたくさん取られるということもない。本塁打も打つし打点も稼ぐ、勝利に貢献できる選手になるだろう」。その予言はきわめて正確だった。

 「これから、君を重圧が襲う。このチームはオーナー(ジョージ・スタインブレナー)も頑強だから。我慢しろ。自分のスイングを信じろ」。レジーは、そっと松井の肩を抱いた。

 (このシリーズは編集委員・西村と安藤嘉浩、写真は丹羽敏通が担当します。本文は敬称略)

「ニッポン人脈記」は、月曜日から金曜日の朝日新聞夕刊(夕刊のない地域では火曜日から土曜日までの朝刊)に連載。このページでは各シリーズごとに1回目を掲載します。 ≫朝日新聞購読のご案内

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