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「こいつ、ただ者ではない」2006年03月13日 春。競馬が最も華やぐ季節だ。昨年、無敗のまま日本ダービーなど3冠を制し、史上最強馬への道を歩むディープインパクトも19日、今年初めてのレースに挑む。
この馬のけた違いの潜在能力に最初に気づいたのは、厩(きゅう)務員の市川明彦(いちかわ・あきひこ)(46)だ。04年9月8日、日本中央競馬会の滋賀県・栗東(りっとう)トレーニングセンターで、デビュー前のディープを迎えた。 「うちの厩舎にいた兄馬と比べると、小さく、目がクリッとして、牝馬(ひんば)みたいに可愛い。これで厳しいダービーへの道をやっていけるのかな、と心配になった」 市川は餌や寝床のワラを用意し、朝から晩まで世話をする。ひと月後。初めての速めの調教で、驚くほどの好タイムが出た。 乗った調教助手は「えっ、そんなに速かった?」。普通の馬なら汗をかき、精いっぱいやったという表情を見せる。だが、ディープはケロッとしていた。力まず、楽しんで走る。市川は思った。「こいつ、ただ者ではない」 市川は京都府の高校を出て、地元の農協に5年勤めた。83年、脱サラして喫茶店で働く。そこのママに「将来、店を持つつもりかもしれないけど、飲食店は不安定よ」と厩務員になることを勧められた。ママの夫が調教師だった。 ディープを預かるのは調教師池江泰郎(いけえ・やすお)(65)の厩舎。市川もここの所属だ。池江は馬の調子をつかみ、調教計画や走らせるレースを決める。ディープが勝つたびに、ファンは期待を高め、馬券を買う。その重圧をいつも感じているから、「人間の都合より、あの馬を優先する責任がある」と言う。 池江は騎手時代の成績もまずまずだったが、調教師になってから、所属馬で菊花賞、天皇賞など最上位のGIレースを次々に制覇。チームワークを重んじる性分が今の立場に合った。 出走には、厩務員や調教助手だけでなく、装蹄(そうてい)師や獣医師、飼料業者ら多くの力が結集される。「ダービーを勝ってくれたディープの姿の向こうに、そういう人たちがみえた」と池江は話す。 装蹄師は、馬の脚の爪(つめ)に蹄鉄をつける専門家。中央競馬に125人いる。その一人、西内荘(にしうち・そう)(49)は担当馬がGIを50以上勝ち、「カリスマ装蹄師」と呼ばれる。 ディープの爪の厚さは普通の馬の半分しかない。「走る馬」の特徴らしい。ただ、そのぶん西内が蹄鉄のクギを短くしても、ディープは違和感をみせた。 「あいつの走り方は独特。蹄鉄の全面で地面をとらえて蹴(け)るから、並はずれた推進力が出る。でも、クギに大きな力がかかり、爪がボロボロになっていく。それを何とか防いでやりたかった」 ダービーで、西内はディープの脚に、クギの代わりに特殊な接着剤で蹄鉄を付けた。米国から学んだ新しい方法で、実は、それまでに他馬で200回も試していた。 ディープは02年3月25日、北海道早来(はやきた)町のノーザンファームで生まれた。父は最高の種牡馬(しゅぼば)サンデーサイレンス、母はウインドインハーヘアである。 99年6月、ノーザンファーム代表の吉田勝已(よしだ・かつみ)(57)は、米国のエージェントから数枚のファクスを受け取った。世界最大級の牧場主が売りに出す繁殖牝馬のリストだ。吉田は1頭の名に目をとめる。その血統や戦績は、頭の中に入っていた。すぐに国際電話をかけて買い取った。それがウインドインハーヘアだ。 この即断がなければ、日本で2頭目の「無敗の3冠馬」は出ていない。「リストはごく少数の生産者に渡されるだけ。この世界は早い者勝ち。わずかな迷いが、大きな悔いを残すんです」と吉田。 夢、ロマン、歓喜、悲劇……。ディープが年末の有馬記念で敗れたとき、場内は静まりかえった。競馬はドラマ、主人公はサラブレッドだ。スポーツとギャンブルのはざまで、人々はのめり込む。
(このシリーズは街風隆雄が担当します。本文は敬称略)
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