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ニッポン人脈記

素数の歌はとんからり

2006年12月11日

 1、2、3……と数を数えるようになって、人間は数学を始めた。その最も基礎を作るのが、2、3、5、7……という、1とそれ以外に割り切る数がない数、素数だ。小川洋子(おがわ・ようこ)(44)のベストセラー「博士の愛した数式」の主人公が最も愛したのは素数だった。

写真

加藤和也さん

数式

ゼータ関数

写真

黒川信重さん

 京大教授の加藤和也(かとう・かずや)(54)も素数の不思議に魅入られてきた。

 素数の歌はとんからり

 とんからりんりんらりるれろ

 耳を澄ませば聞こえます

 楽しい歌が聞こえます

 

 素数の歌はちんからり

 ちんからりんりんらりるれろ

 声を合わせて歌います

 素数の国の愛の歌

 自作「素数の歌」は彼の研究のすべてを表している。たとえば、1番は「素数は、耳を澄まさないと(よく研究しないと)聞こえない(理解できない)」という教訓だし、2番は「ひとつひとつバラバラに見える素数にも相互の関係や全体の構造がある」という意味を込める。講義の最後には、時には踊りも付けて披露している。

 昨年6月、日本学士院賞と恩賜賞を受けた加藤は、皇居でこの「素数の歌」を歌って、天皇、皇后に自らの研究を説明した。後日、皇太子から「ずいぶん面白く説明してくれたので、皇后陛下は喜んでいた」と聞いた。

 ◇

 素数など整数の性質を研究する整数論。95年に解決されたフェルマー予想、最難問といわれるリーマン予想はいずれもこの分野の問題であり、ドイツの大数学者カール・フリードリッヒ・ガウスは、整数論を「数学の女王」と呼んだ。問題を解くのに、あらゆる数学の知識を「しもべ」のごとく扱わねばならないからだ。

 そんな整数論は、日本のお家芸である。日本の数学を世界レベルに引き上げた高木貞治(たかぎ・ていじ)が、1920年、素数と素数の関係をあきらかにする「類体論」を創始したのがきっかけだった。戦後も岩沢健吉(いわさわ・けんきち)、志村五郎(しむら・ごろう)(76)らきら星のように世界的数学者が輩出している。加藤もその系列に属する。

 加藤は東大2年の秋、いったん進学を決めた航空学科がまったく自分に向かないことを悟った。「私は実際的なことはまるでだめ。飛行機の設計なんかしたら恐ろしいことが起こる」。留年中に、高校時代の友人から借りた代数学の教科書を見て、数学に目覚めた。類体論を高度化させ、数の性質を高度な幾何学を駆使して探る「数論幾何学」という新分野のパイオニアともなった。

 加藤の盟友の一人が、東工大教授の黒川信重(くろかわ・のぶしげ)(54)だ。2人とも、ありとあらゆる素数の情報を含む関数「ゼータ(ζ)」=数式参照=にほれこみ、朝起きて夜寝るまで、ゼータについて議論し続けたこともあった。黒川は「すべての話がゼータしていた」と加藤との至福の時間を振り返る。

 しかし、加藤ほどみかけが学者らしくない学者はいないだろう。彼の教授室には紙束が乱雑に積まれ、自分でも何がどこにあるかよくわからない。よれよれのワイシャツ姿で講義に現れ、ちょっと猫背で黒板の前をうろつき回る。

 大学院生に対する指導も変わっている。加藤が助手時代に初めて指導した斎藤秀司(さいとう・しゅうじ)(49)との「教室」は山の中だった。ノートを携えて、歩きながら2人で数学の構想を練る。それから20年余り、東大教授として学生を指導する斎藤は、山々の向こうに数学の真理が見える気がしたのを覚えている。

 ◇

 国際数学者会議が今年8月、スペインで開かれた。4年ごとのこの会議で、加藤は1時間の特別講演を依頼された。講演当日、スクリーンに映し出されたのは数式ではなく、日本昔ばなしの「鶴の恩返し」の挿絵だった。「鶴が人間の中で美しい織物を織り上げたように、ゼータ関数は関数の世界から代数の世界に入って美しい公式を織り上げる」と説明すると、会場からは大拍手が起こった。

 数、図形、記号、式……数学は人の脳からあふれ出た思考からできる世界だ。そこに住む純粋で不思議なヒトビト(人々)と、そのなぞの世界を歩き回った。

 (このシリーズは内村直之が担当します。文中は敬称略)

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