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見たか魔王「4の字固め」

2007年08月28日14時16分

 男の子がプロレスごっこに夢中になった時代がある。だれもが試したのは「4の字固め」だろう。「白覆面の魔王」ザ・デストロイヤー(77)の決め技である。力道山(りきどうざん)との白熱の攻防は語り草だ。

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ザ・デストロイヤーさん(左)と木口宣昭さん

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東京のジムで教えるビル・ロビンソンさん

 ニューヨーク州生まれのデストロイヤーが11歳の冬、キャンディーを買いに行くと店主が「今日はもう店じまいだ」。ラジオは日本軍の真珠湾攻撃を伝えていた。

 学生時代、アメリカンフットボールとレスリングにうちこむ。大学院で教育学をまなんでいたとき、誘われてプロレスのリングに。当時は素顔で、いわゆる善玉のレスラーだった。

 しかし、スターの座にはなかなか手がとどかない。プロモーターが用意してくれた覆面をかぶる。リングネームも変えた。「それまでの枠から飛び出し、存分に暴れたかった」。ゴングが鳴った瞬間、新しい人生の幕が開く。

 世界王座につき、初来日したのは1963年。ハワイ遠征で知り合った力道山から招かれた。記者会見で「4の字固めは本当に効くのか」ときかれ、「説明より、お見せしよう」。足をからめられた記者は痛さに悲鳴をあげた。

 敵役を演じるが、力道山亡き後、ジャイアント馬場(ばば)の団体で日本陣営に加わる。テレビのバラエティー番組でコミカルな役も演じてみせた。日本が好きになり、家族を呼んで6年、東京で暮らす。帰国して故郷の小学校の体育教師になるが、日本のリングには63歳まで上がりつづけた。

   ◇

 今月9日、デストロイヤーは東京都町田市にやってきた。「コンニチハ」と道行く人に手をふる。日米親善少年少女レスリング大会に米国チームを連れてきたのだ。

 一行を迎えたのは木口宣昭(きぐち・のりあき)(62)。元アマチュアレスリング選手で町田に道場を開いている。デストロイヤーと出会ったのは30年近く前のファン感謝デー。教え子たちと控室を訪ねた。

 「この子らの成長を見るのは楽しいですよ」「それはまさに僕が思っていたことだ」。ふたりは意気投合する。木口の発案で夏休みの親善大会がはじまり、ことしで20年になった。

 かつての「魔王」は故郷では素顔で暮らしている。「日本に着いてマスクをつけると、アメリカから連れてきた子どもたちが不思議そうな顔をするんだ」。覆面の下から見続けてきたニッポン。最近、気になることがあるという。

 「男の子らが取っ組み合いをしなくなったね。体をぶつけあう原始的な遊びも大切なのに」

   ◇

 日本にほれこんだ異国のレスラーがもう一人いる。イギリス生まれの「人間風車」ビル・ロビンソン(68)だ。英国に「蛇の穴」と呼ばれるジムがあった。漫画「タイガーマスク」で「虎の穴」のモデルになった伝説のジムだ。15歳で入門、猛練習を耐え抜いた。

 68年に初来日し、華麗でクリーンなファイトでファンの心をつかむ。馬場やアントニオ猪木(いのき)(64)、デストロイヤーとも対戦した。「観客は真剣に見て、いつも最後に大きな拍手を送ってくれた。日本人が好きになった」

 長年酷使したひざや首を痛め、47歳で引退。離婚の慰謝料支払いを抱えていた。米国でコンビニの店長やホテルのガードマンをする。なんと退屈な日々。リングの時代をなつかしんでいたところに東京から国際電話が入った。

 「あなたの高い技術を次の世代に残すため、新しくつくるジムで指導してほしい」

 そう頼んだのは元プロレスラー宮戸優光(みやと・ゆうこう)(44)。小学6年のころロビンソンと猪木の一戦を見てレスラーを志す。自分のジムを立ち上げるとき、以前コーチしてもらったロビンソンの顔が浮かんだ。

 「ミヤトの誘いは本当にうれしかった」とロビンソン。東京・高円寺に住み、ジムで若者を鍛えてもう8年になる。いきつけの喫茶店でコーヒーを楽しみ、飲み仲間もできた。

 「真のレスリングの知識と技術を伝えていくことは大きな誇り。私はいま種をまいているんだ」。日本に骨をうずめてもいいとさえ思っている。

 (このシリーズは近藤幸夫が担当します。本文は敬称略)

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