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子がつないだ赤い糸

2008年05月14日14時27分

 橋がかかり、右岸と左岸がつながって、そこを行き交う人がいる。つり橋、けた橋、丸木橋。出会いがあって、涙があって。そんな橋への旅に出たい。

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宮本由紀子さん

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国本香さん、長男の悠聖(ゆうせい)ちゃんとともに

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福島和さん

 まず、橋での男女の出会いから。父親が、一人娘に遠い思い出を語ったことから、隠れていた物語はひもとかれる。父の実家から母の実家へ向かう、車の中でのことだった。

 「昔、ここに橋があってな。10歳のころ、荷物をリヤカーに積んで運ぼうとしたんやけど、坂で渡られへんことがあってん。困っていたら、男の子と女の子が押してくれたんや」

 どこにもあるようなできごとと、娘は聞いた。だが、しばらくしてその場所に母と2人差し掛かった時、母は言い出した。

 「昔、ここに橋があってね。子どものころ、男の子のリヤカーを押したことがあるんよ」

 二つの思い出が、娘の中で一つにつながった。「そのリヤカー、お父さんが引いていたんと違う?」

 香川県出身の父宮本賢夫(みやもと・けんお)(69)と母由紀子(ゆきこ)(66)は39年前、結婚した。見合い結婚だった。会ったとき、由紀子は漠然と「この人についていったら幸せになれそう」と思った。2人は関西で焼き肉店を開き、忙しい日々が続いた。なかなか子宝に恵まれず、流産もしてあきらめた時、娘が生まれた。

 リヤカーを押した由紀子の記憶をたどると、丸亀市の東汐(ひがししお)入川(いりがわ)にかかる富士見橋にたどり着く。長さ20メートルほどのコンクリートの橋だった。かつて周りに多くの漁船が係留され、にぎわいの中にあった。後に川は埋め立てられ、橋も姿を消した。

 橋の淡い思い出は、父と母の記憶のどこかにしまい込まれていた。その記憶の橋渡しをした娘の国本香(くにもと・かおり)(30)には、母の言葉が何よりうれしかった。「あなたが生まれて、幸せを運んでくれた。子どものころのこんなすてきな思い出まで運んできてくれるなんて」

 自分も1児の母になった国本は思ってみる。橋の出会いは、運命だったのだろうか、と。

    ◇

 銀座の交差点脇の小さな公園に、「数寄屋橋此処(ここ)にありき」と書かれた碑が残る。半世紀前まで、そこには二つのアーチをもつ石橋がかかっていた。

 男女の出会いの橋として有名にしたのが、碑文を書いた菊田一夫(きくた・かずお)のラジオドラマ「君の名は」だった。戦争末期の45年5月、空襲のさなか、数寄屋橋のたもとで春樹(はるき)と真知子(まちこ)は互いに命を助け合い、半年後の再会を誓って名前も告げずに別れた。

 まだ、本格的なテレビ放送が始まる前だった。若い男女の愛のすれ違いが、女性たちをラジオの前にくぎ付けにした。

 同じような男女の出会いの映画に「哀愁」がある。ロンドンのウォータールーブリッジでビビアン・リーとロバート・テーラーが空襲のさなかに出会う、悲恋の物語だ。菊田はこの作品を見て「君の名は」の冒頭場面を考えたと言われた。ただし、これには異論もある。

    ◇

 ちょうど春樹と真知子が橋で出会ったころ、福島和(ふくしま・かず)(79)の勤める埼玉の製鋼工場が、米軍機に攻撃された。防空壕(ぼうくうごう)に逃げ込む間もなく、銃弾の音が工場に響いた。学徒動員の女学生が片隅にうずくまり、17歳の福島は腕で抱くようにかばった。

 音がやみ、顔を上げた少女は、防空ずきんの下でほおを赤らめ、ほほえんだ。それは53年に映画になった「君の名は」の冒頭、佐田啓二(さだ・けいじ)が岸惠子(きし・けいこ)(75)をかばう場面そのものだった。

 間もなく、福島は工場を離れた。戦後、探そうとしたが手がかりがなく、少女に再び会うことはなかった。自動車修理業を営み、忙しい日々を送った。戦時の一瞬の青春のときめきを「君の名は」の数寄屋橋の場面に重ね、福島は今も時折、この映画のDVDを1人みる。

 (このシリーズは文・江木慎吾、写真・郭允が担当します。文中敬称略)

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