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「私は愛していました」

2008年10月15日14時43分

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写真加計呂麻島の浜に立つ浅丘ルリ子さん

写真元ちとせさん

写真「寅次郎紅の花」のポスター=松竹提供

 寅(とら)さん、わたし、帰ってきたわよ。

 浅丘(あさおか)ルリ子(68)は今夏、奄美の加計呂麻(かけろま)島を訪れた。サンゴ礁に囲まれたこの島で95年秋、「男はつらいよ」シリーズ最終作「寅次郎紅(くれない)の花」のロケをした。渥美清(あつみ・きよし)らとすごした日々が走馬灯のように浮かぶ。

 浅丘が「寅次郎忘れな草」でさすらいの歌手リリーを初めて演じたのは73年、33歳のときだ。それまでマドンナといえば良家のお嬢さんだったり、貞淑な婦人だったり。

 監督の山田洋次(やまだ・ようじ)(77)から最初に示されたのも、北海道の牧場で働く女性という役だった。浅丘は自分の細い手をみせる。「わたし、こんな手をしているんですよ」

 宝石の似合うその手を山田はじっと見た。しばらくして浅丘に台本が届く。「場末のキャバレーを渡り歩く歌手」に変わっていた。夜汽車の中でひとり、窓の外を見て泣く女。勝ち気なようで、家族に送られて出港する漁船を見ながら、寅さんにささやく女。

 〈ね、私たちみたいな生活ってさ、普通の人とは違うのよね。あってもなくてもどうでもいいみたいな、つまりさ……あぶくみたいなもんだね〉

 浅丘は旧満州で生まれた。父は官僚だった。瞳の大きな少女は15歳でデビューする。日活映画の黄金時代、相手役の石原裕次郎(いしはら・ゆうじろう)や小林旭(こばやし・あきら)(69)に恋心を寄せた。

 「私ね、いろいろな人に恋をしたの。何遍も恋をして、何遍もふられてみたかったの。燃えるような恋をしたかったの」

 30歳で石坂浩二(いしざか・こうじ)(67)と結婚、のちに離婚。リリー役を4回演じた。寅さんは風来坊だけど、東京の葛飾柴又に、おいちゃん、おばちゃん、妹のさくらたちがいつも待っている。うらやましかった。

    ◇

 ドラマの中のリリーは奄美に住んでいる。95年のロケの日、島の人々がホテルで歓迎会をしてくれた。ひとりの少女が島唄(うた)を披露する。その美しい歌声に浅丘はおどろいた。

 翌日、撮影現場でその少女をみかけ、「あんたのテープ、買いに行ったよ」。大女優に声をかけられて仰天したのは当時高校2年だった歌手の元(はじめ)ちとせ(29)。彼女の島唄は「寅次郎紅の花」にも使われた。

 町営体育館での上映会。オープニングで自分の名前をみつけた元は「出た、出た!」。同級生と手をとりあって喜んだ。

 そのロケの最中、浅丘は渥美の異変に気づいた。

 「とてもおつらそうなの。『寅さーん!』と抱きついても、以前ならボーンと受け止めてくれたのに、細いんです、すごく。組むのも悪いような気がしました」

 渥美はがんにおかされていた。いつもはよく響くあの声もかすれがち。スタッフは誰も知らされていなかったが、「私は思いました。絶対これが最後だわって」。9カ月後の96年8月4日、渥美は逝く。68歳。

    ◇

 浅丘の胸のなかで、渥美は寅さんと分かちがたく生きている。いまも渥美を語るとき、つい「寅さん」といってしまう。

 男くさくて粋で不良っぽくて、照れ屋で優しくて可愛くて、そしていつも笑わせてくれた。「私は愛していました。ほかのどのマドンナよりも、愛していました」

 リリーがいた青い屋根の民家を、南の島の人々は「リリーの家」と呼ぶ。いま住む人はないが、近所の人が雑草をむしり、掃除する。いつしか、こんな伝説も生まれた。

 ――テキヤ稼業を引退した寅さんは、この島でいまもリリーと暮らしている。海辺で釣りをする島の子たちに旅の昔話を聞かせている、と。

 風の吹くまま気の向くまま。寅さんに思いを寄せる人々をたずねて旅に出よう。

 (このシリーズは文を小泉信一、写真を八重樫信之が担当します。本文敬称略)

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