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「You can’t」 悔しくて

2008年11月6日14時27分

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写真孫と遊ぶゴーマン美智子さん=米国ワシントン州、加藤里美氏撮影

写真現役時代のゴーマン美智子さん

写真小幡(現姓大井)キヨ子さん

 日本の女子マラソンの歴史をひもとくと、こんな新聞記事に行き当たる。

 「日系の奥さん、ボストンマラソンを新記録で制す」

 74年4月、米国の名門レースで優勝したのはゴーマン美智子(みちこ)(73)。当時38歳、153センチ、40キロ。なみいる欧米選手を退けての快挙だった。

 「You can’t(あなたには無理)って何度もいわれて、悔しくて。その悔しさが走る力になったの」

 中国で生まれた美智子は東京で育ち、福島の短大1年のとき医師の父が急逝した。中退して働くが、生活は苦しかった。「日本にはないチャンス」を求めて28歳で渡米。夫マイケル(70)と結ばれる。

 ある日、マイケルがふと言った。「君もあんなふうなら、よかったのに」。比べられたのは、彼の親友の恋人でスポーツ万能の米国人女性だった。

 カチンときた。胃腸が弱かったが、スポーツができないと決めつけられては黙っていられない。69年の春、スポーツクラブで走りはじめた。半年後、クラブ会員が1カ月に走った距離を競うコンテストがあった。約950キロを走って1番になる。

 「足のあちこちに水ぶくれや血ぶくれができて包帯だらけ。でも夫は私が活動的になったことを喜んで、手当ても食事の支度もしてくれたわ」

 どこまでやれるか、限界までいってみたい。マラソンの有名なコーチを訪ねた。そのコーチの教え子に、のちに世界記録保持者となるジャクリン・ハンセン(59)がいた。

 美智子よりずっと若いハンセンは、冷たくいった。「あなたがマラソン? 死にたいの? 私についてくるなんて無謀よ。You can’t」

 またも負けん気に火がつく。練習を重ね、73年の初マラソンでハンセンに逆転勝ち。翌春のボストンで優勝し、世界のマラソン女王になる。

 いま美智子は米国ワシントン州で娘の美嘉(みか)(33)や2人の孫らに囲まれて暮らす。自宅で往年の写真を見せながら、こんな話をしてくれた。

 「ボストンで勝ったあと、街を堂々と歩いている自分がいたの。ずっとコンプレックスのかたまりだったのに、やせっぽちの体も短い足も、もう気にならない。私は小さいけれど性能は世界一なんだ、と」

    ◇

 小柄な「日系の奥さん」の活躍は日本の女性たちをボストンにひきよせた。75年に参加したのは山本(やまもと)(現姓高野(たかの))春枝(はるえ)(55)たちだ。佐渡生まれの和太鼓グループ「鬼太鼓座(おんでこざ)」のメンバーで公演の体力づくりに朝夕、走っていた。

 山本はあこがれの美智子に会い、悩んでいたことをうちあける。「月のものがこなくなる。そういうこと、ありますか?」「私も同じよ。一時的なら大丈夫」。励まされて山本は仲間とともに完走した。

    ◇

 このとき応援をかねて終盤だけ走ったのが当時18歳の小幡(おばた)(現姓大井(おおい))キヨ子(こ)(51)。高校時代は陸上部員で、鬼太鼓座に入ったばかりだった。翌年からボストンで走って力をつけ、やがて日本の主要マラソンを初めて完走した女性となる。

 その舞台は79年2月の別府大分毎日マラソン。「男子の種目だから」と参加をいったん断られたが、鬼太鼓座代表田耕(でん・たがやす)が「海外では女子も走れるのに、なぜだめなのか」と食い下がって認めさせた。

 小幡は懸命に駆けた。2時間48分52秒でゴール。小幡より遅い男子も大勢いた。感じたのは性別の壁だけではない。

 「芸人なんかが神聖なスポーツに乱入して、といった視線も。そういう偏見を見返したぞ、みたいな気持ちもあって、うれしかったですね」

 この年11月、第1回東京国際女子マラソンが開かれた。美智子も小幡も走った。第30回の今年で最後となるこの大会を軸に、女子マラソン草分けのドラマをたどる。

 (このシリーズは杉山圭子が担当します。本文敬称略)

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