酒井美直さん
村上恵さん
ロニーさんとの結婚式
悠久の時をこの国に刻み、アイヌの人々は独自の言葉、文化をつむいできた。その言葉、文化、大地をも奪われた人々のことを、私はほとんど知らなかった。アイヌのいまを訪ね、そこに吹く新しい風を伝えたい。
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「アイヌレブルズ」というグループがある。関東の若いアイヌら12人でつくる。ポップな音楽に合わせ伝統舞踊を踊り、アイヌ語で歌う。結成2年、メディアにも紹介され「かっこいい」と公演依頼が相次ぐ。
「レブルズ」は反乱者たち、のような意味だ。「アイヌを誇れる社会にしたい」という思いを、名前に込めた。でも、グループの中心、酒井美直(さかい・みな)(25)がそう思えるようになったのは、ほんの数年前だった。
高校まで北海道帯広市で育った。幕別町出身のアイヌだった父の衛(まもる)は、上京してアイヌの権利回復運動に身を投じ、美直が5歳の時に亡くなる。
小学校の時、若い学童保育の女の先生が、ポリ袋を細かく切り裂き、もじゃもじゃの毛に見立てて頭にかぶり、「アイヌがいますよ」と言った。
アイヌだということを隠す大人は多かった。アイヌの友人と一緒にいるところを見られたくなかった。アイヌとは良くないこと、そんな空気が自分の心をも染めていた。
美直が変わり始めたのは、高校の時にカナダで先住民族と交流する機会を得てから。自分と同世代が、自信たっぷりに伝統舞踊を舞う姿に衝撃を受けた。
さらに、東京の大学に進んで2年、豪州で先住民族と交流するツアーに参加して一人の青年と出会う。米国人の父と、在日中国人の母の間に生まれたロニー・エバソン(28)だった。
小学校4年まで名古屋で過ごした。日本の中のマイノリティーの歴史に関心をもち、米ハーバード大で日本と朝鮮半島の歴史を学んだ。卒業後は北海道の阿寒湖畔にあるアイヌ民芸店に2カ月半、住み込んだ。
そんなロニーに、美直はツアー帰りの飛行機で、胸の内を話していた。「アイヌであることでコンプレックスもあって。夢を持ったり、恋愛したりする資格すらないんじゃないか、ぐらいに自己否定してて」
ロニーは言った。「美意識、価値観は社会に支配されてて、マイノリティーは犠牲になっちゃう。美直はそのままでいい」
05年、2人は東京で伝統的なアイヌの結婚式を挙げた。
美直は、唇の周りを黒く塗り、アイヌの成人女性のシヌイェ(入れ墨)を模した。アイヌを同化しようとする明治政府に、禁止された慣習だ。
「今の日本で不気味とか思っても、昔のアイヌにとっては美だった。あえてマジョリティーが支配する価値観にぶつけたかった」
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そして、アイヌレブルズ。結成のきっかけは、関東地区のアイヌの世話役、美直が「フチ(おばあさん)」と慕う宇梶静江(うかじ・しずえ)(75)の言葉だった。「若いウタリ(同胞)で、新しいアイヌ文化をどんどん表現してちょうだいよ」と言われた。
歌と踊りなら、それができるのでは。呼びかけに若者たちが集まった。その中に幕別町出身の村上恵(むらかみ・めぐみ)(24)がいた。
小学生の時に机に「アイヌ」と書かれた。「目立てば、いじめの標的になる」と思い、ずっと下を向いていた。「アイヌっぽい」自分の容姿がいやで、下まつげを際まで切った。
18歳で、逃げるように北海道から本州に。美直の誘いに「どんな目で見られるんだろう」と不安だった。でも公演で拍手を受けるたび、「猫背が伸びる」ような気がした。
今年、出した曲「エカトゥフ ピリカ(君は美しい)」の詞は、美直が書いた。若いウタリに届け、と。
エネ エアニ ネノ エアン ヤク ピリカ ナ(ありのままの君でいいんだよ)
それは、かつて自分の心を開いてくれた言葉だった。
(このシリーズは文を山田理恵、写真を石井一弘、高波淳が担当します。文中敬称略)