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夢二は反戦画家だった

2009年5月19日14時19分

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写真谷口朋子さん

 東京・本郷から言問通りをちょっと下っていくと、赤いれんが造りの竹久夢二(たけひさ・ゆめじ)美術館がある。木々の若葉が萌(も)え、ツツジの花が咲いていた。

 夢二といえば、大正ロマン、愁いを含む美人画、「宵待草」の歌で知られる。そう、夢二作詞の、あの哀切な歌である。

 まてどくらせどこぬひとを

 宵待草のやるせなさ

 こよひは月もでぬさうな。

 美術館の学芸員谷口朋子(たにぐち・ともこ)(40)は13年前にここに来たとき、「夢二ってあんまり好きじゃない。甘く情緒的」と思った。

 夢二が生きたのは明治から大正、昭和にかけての49年間である。日清・日露戦争、大逆(たいぎゃく)事件、大正デモクラシー、関東大震災、そして満州事変まで日本は激しく動く世情の中にいた。

    ◇

 そんな時代を夢二は、たまきさん、彦乃(ひこの)さん、お葉(よう)さん、何人もの女性を愛し、美人画を描いて過ごしたんですね。

 「ええ、純粋だったからか、あるいは自分をさらけだす人だったのか。でも、夢二は反戦画家でもあったんですよ」

 美術館所蔵の明治の新聞「直言」の合本をめくる。1905(明治38)年6月の紙面のコマ絵、いまでいう政治漫画は、白衣の骸骨(がいこつ)と泣いている丸髷(まるまげ)の女が寄り添う姿である。「日露戦争の勝利の悲哀を描いている。夢二が描いた最初の政治風刺画だろうといわれています」

 当時、ナショナリズムを高揚させた日露戦争に対し、反戦論、非戦論が台頭していた。内村鑑三(うちむら・かんぞう)はキリスト者として、幸徳秋水(こうとく・しゅうすい)、堺利彦(さかい・としひこ)ら社会主義者は「平民社」をつくって「週刊平民新聞」を発刊、世に訴えた。廃刊の憂き目にあうと、「直言」「光」「日刊平民新聞」などが後を継ぐ。

 「夢二はこれらにコマ絵を寄稿しているんです。けっこう、どぎつい絵ですよ」

 この絵、先頭は凱旋(がいせん)の楽隊、でも続くのは負傷兵、悲しむ女、後尾は得意顔の村長ですよ。ほう、これも戦争の悲哀ですね。こちらは資本家と労働者、これは成り金と女の図柄です。これは墓前で悲しむ女。はあ、夢二はこんな絵を描いたんですか。反戦と美人画。夢二はどんな人だったんでしょう。

 夢二は1884(明治17)年、岡山で生まれた。母と姉にだけ打ち明けて家出して上京、早稲田実業学校に入る。平民社に出入りする荒畑寒村(あらはた・かんそん)、岡栄次郎(おかえい・じろう)とともに下宿して社会主義に傾斜する。

 彼らの薦めで寄稿したコマ絵は、女性や子どもへの同情に満ちていた。反戦と美人画、いずれも遠い母や姉への思慕からはぐくんだものかもしれない。

 1911(明治44)年1月24日、号外売りが街を走る。夢二宅に出入りする女子学生神近市子(かみちか・いちこ)は、その号外を夢二に届けた。そこには、幸徳秋水ら大逆事件の死刑囚処刑のニュースが書かれていた。

 夢二はフーンとうなり、秋水らとは旧知であることを明かし、「みんなでお通夜をしようよ。線香とろうそくを買ってきておくれ」と神近に告げた。神近は、5年後、アナーキスト大杉栄(おおすぎ・さかえ)を愛情のもつれから刺す日蔭茶屋事件を起こし、戦後は社会党衆院議員になる。

 大逆事件は、天皇の暗殺を企てたかどで12人が死刑、12人が無期懲役になり、天下を震撼(しんかん)させた。だが、ほんとにそんな計画があったのか、社会主義者らを一網打尽にする権力の陰謀ではなかったのか。

    ◇

 「私は、夢二のデザインの仕事にもひかれるんです。雑誌の表紙や広告、絵はがきや千代紙。夢二はこういう日常のもので人気があったんですよ」と谷口。三越や千疋(せんびき)屋のポスター、カチューシャの唄(うた)やゴンドラの唄の楽譜の絵。大逆事件から一転、大正ロマンの世に。

 「夢二の人生からは時代が見えてくるんです」

 あのころ貧しい人の側に立ち、懸命にたたかった人々がいた。いま再び貧困、格差社会。100年の歴史に思いをはせて「大逆事件残照」を記したい。

 (このシリーズは本社コラムニスト早野透、写真は中井征勝が担当します。本文敬称略)

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