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主婦の発明 初恋スリッパ

2009年9月1日14時38分

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写真中沢信子さん

写真福井泰代さん

 棚の上に手を伸ばして、神奈川県鎌倉市の主婦、中沢信子(なかざわ・のぶこ)(65)は気がついた。つま先立ちになると、背筋が伸びて気持ちがいい。運動にもなりそうだ。

 寝たきりのしゅうとめの世話に追われてうつに陥り、過食から体重も80キロを超えた。趣味のバドミントンにも通えなくなっていた。せめて家の中ではつま先立ちで過ごしてみようか。

 だが、ついつい、かかとをついてしまう。「スリッパのかかとを取っちゃえば、いつでもつま先立ちになるかも」。ハサミでスリッパを半分に切る中沢を見て、母のうつを心配していた高校生の娘は「とうとうおかしくなった」とあわてた。

 かかとを切ったスリッパをはくと、ふくらはぎが痛くなった。これはいい。運動になっているんだ。しばらくすると体が軽くなり、腰痛も治まった。

 断面を色とりどりの布でくるむなど工夫を重ねた。「友達には見せたくない。玄関に置かないで」と言っていた娘が、「あたしにも可愛いの作って」と変わったのも励みになった。評判を聞いたバドミントン仲間にも30足ほどわけてあげた頃、商品化を思いつく。    

     ◇

 90年に1足2千円などで売り出す。「主婦がへそくりで作るんですから、大企業にはかなわない。ネーミングで引きつけなきゃ」。初恋をしていた頃のように細く、との気持ちで「初恋ダイエットスリッパ」とした。やがて、有名人が愛用しているという口コミも手伝って爆発的な売れ行きに。百貨店から注文が殺到する。海外でも発売され、通算で400万足を超えた。「世の中に残るものを一つは作った、という気持ちはあります」

 熊本県に生まれた。家は村で一、二の豪農。広い庭の草取りが中沢の仕事だった。

 雑草は取っても取っても根が残ればすぐ生い茂る。納屋にあった古い門松の竹の先に切れ込みを入れて、根ごと掘れる「草取りシャベル」を作った。小学校5年。最初の発明だった。

 納屋や馬小屋は、発明の材料には事欠かない。男の子のように入り浸った。

    ◇

 東京・世田谷の主婦、福井泰代(ふくい・やすよ)(43)は夏の暑い日、ゼロ歳児の息子をベビーカーに乗せて都心に買い物に出た。

 駅のエレベーターは場所がまちまちだ。乗り換えのたび、エレベーターを探して長いホームを歩き回るうちに、息子がぐったりしてしまった。

 福井は、婦人発明家としてマスコミに登場する中沢にあこがれて都内の発明家の団体に入った。先輩会員から最初に習った言葉が「いやだなと思ったら、そこにビジネスチャンスがある」。駅でつらい思いをしているお母さんやお年寄りは多いはず。ニーズはある。楽に乗り換えが出来るマップを作ろう。

 95年11月、福井の地下鉄通いが始まった。毎週土日、会社員の夫に子供を預け、740円の一日乗車券を買って1駅ずつ調べた。

 首都圏256の地下鉄の駅の上りと下りのホームを歩き回る。どこにエスカレーターがあるか、案内板はどこか。何色ものサインペンで大学ノートに書き込み、写真を撮った。怪しげな振る舞いに見えたのだろう、何度も職務質問を受けた。地下鉄サリン事件の翌年だった。

 5カ月かかって完成した「地下鉄のりかえ便利マップ」は97年、日本能率協会のビジネス手帳に採用された。福井は自宅2階に有限会社を作る。携帯電話と人間用の道案内情報マンナビの普及が追い風になり、01年、会社を交通情報提供の株式会社「ナビット」に改めた。

 いま従業員40人、年商5億円。13年前に福井が1人でやった駅の調査は、大学の鉄道研究会を動員して全国規模で行っている。10年もしたら社長を引退して、発明を考える暮らしに戻りたい。福井のいまの夢だ。

 少しでも暮らしやすく、便利に。資源の乏しい日本を支えてきたのは、中沢や福井のような庶民の思いつきと努力だ。発明工夫の物語を紹介する。

(このシリーズは文を篠崎弘、写真を中井征勝が担当します。文中敬称略)

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