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おぼろ月夜に女と二人

2010年1月30日15時31分

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写真多賀さゆみさん(左)と古河ななよさん

写真水上勉

 生まれて間もなく……わが耳にきこえたこの世の最初の音は、「おんどろどん」という得たいのしれぬものであったと作家水上勉(みずかみ・つとむ)は「若狭幻想」に書いている。

 「遠くで太鼓がなるような、それでいて、地面の底から這(は)い伝わってくるような恐ろしい音」。水上の内耳に終生こびりついた、日本海の暗い空の下、生地若狭の音だった。

 1884年、古河力作(ふるかわ・りきさく)は福井県雲浜村の旧家で生まれた。近親結婚の家系だった。140センチ足らずの短躯(たんく)である。

 17歳で神戸の草花店に、1903年には19歳で東京・滝野川の西洋草花店に勤めた。主人夫婦はクリスチャンで、ダリア栽培の権威だった。

 だが、11年1月24日、力作は「父上、母上、何卒(なにとぞ)お身体をお大切に。ミキちゃん、ツーちゃん、サヨナラ」と遺言を残し、26歳で世を去る。世間を揺るがした大逆事件に連座して、絞首刑に処せられたのである。それから99年の歳月が流れた。

    ◇

 力作の遺書のミキちゃんとは弟の三樹松(みきまつ)、ツーちゃんは妹のつなのことである。その三樹松と母柳(りゅう)の間に生まれた娘、多賀(たが)さゆみ(76)と古河(ふるかわ)ななよ(74)から、古河家の古い物語を聞いた。

 「力作さんのことは、おばあちゃんから『頭のいい、やさしい子だった』と聞きました。父三樹松は、15年前に94歳で亡くなりました」

 大逆事件は、天皇の暗殺を企てたかどで幸徳秋水(こうとく・しゅうすい)につながる社会主義者を一網打尽にして12人を死刑、12人を死刑から無期懲役に減刑した事件である。

 「力作さんの事件があって、祖父母とまだ子どもだった父三樹松と父の妹のつなは、追われるように若狭から鯖(さば)街道を馬車で京都へ出て、東京に出てきたと言っていました」

 力作は、逮捕から処刑まで7カ月半の獄中で、「僕」という一文を残した。

 「僕は無政府共産主義者です。しかし、ドグマに囚(とら)われてもいない。自由を束縛されるのはいやだ。貧困、生存競争、弱肉強食の社会よりも、自由、平等、博愛、相互扶助の社会を欲す。戦争なく牢獄(ろうごく)なく、永遠の平和、四海兄弟の実現を望む」

 花づくりを愛し、こんな優しい思想を持つ人がなんで死刑囚にならねばならなかったか。やはり少年にして京都のお寺に出た水上は「私の望郷のけしきの中にこの人はいる」と力作に惹(ひ)かれ、「古河力作の生涯」を書いた。きっと力作も、おんどろどんの若狭の音を聞いていたのではないか。

    ◇

 さゆみは信濃毎日新聞記者と結婚、長野市に在住、ななよは東京で保育園長まで務め、東京の三樹松の旧宅にネコと住む。

 「父の兄がそんなふうで亡くなっていますので、父は権力が大嫌い、アナーキストでした。人間は魂の自由ほど大事なものはないと」とさゆみ。

 三樹松も短躯、しかしダンディーだった。24歳、陸軍大将に糞(くそ)を郵送したかどで刑期6カ月を務めた。平凡社に校正者として入り、のちに四谷公設市場に小さい本屋を開いた。

 「父は色事好きというか、女相撲とか浅草のストリップショー、見せ物小屋などをふらふらのぞくのが好きだった。母や子どもを放り出して」

 三樹松は「見世物(みせもの)の歴史」「江戸時代大相撲(付女相撲)」などユニークな本を書いた。

 兄は処刑、弟は悠々と市井に生きた。この2人、違うようで同じだったかもしれない。三樹松はこんな文を残した。

 「僕も身につまされて、あるテロリストの唄(うた)った『死ぬならば断頭台か、さなくんば、おぼろ月夜に女と二人』の句をふと思ひ浮べた」

 妻柳が死んだとき、三樹松は水上に頼んで戒名をつけてもらった。三樹松の戒名も水上がつけた。その水上も2004年9月、85歳で世を去る。

 「若狭は冬に行きなさい」と三樹松は娘たちに言い残した。私たちは若狭に向かった。

 昨年6月、私はこの欄で「大逆事件残照」を連載、天皇制国家の巨大な冤罪事件を書いた。今回は、明治末に起きた大逆事件の前後から大正昭和へ、まつろわぬ民の精神史を探りたい。

 (このシリーズは、文を早野透、写真は中井征勝が担当します。文中敬称略)

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