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脱毛ごとき 気にするな

2010年10月1日14時17分

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写真夏目雅子さん=田川清美氏撮影

写真小達一雄さん

 血液のがんで夏目雅子(なつめ・まさこ)が27歳で逝って、25年になる。当時、遠い世界の女優さんがさらに遠くへ旅立ったと感じたが、私自身が同年代でがんと向き合い、彼女の気持ちや残したものが気になるようになった。

 雅子の兄、小達一雄(おだて・かずお)(56)は、1985年の2月14日の夜、都内の病院で妹が見せた狂乱ぶりが忘れられないという。

 初の座長公演が好評で、あすは中日という夜だった。体調の悪い雅子を診た医師が、入院を宣告する。雅子は「公演をやめろと言うなら死んでやる」と叫び、低いうなり声をあげた。涙をぼろぼろ流す。病室の窓から外に飛ぼうとするのを、一雄は、夫の伊集院静(いじゅういん・しずか)(60)と必死にとめた。

 「妹のあんな声と姿は初めてだった。夢見ていた座長公演だったとはいえ、すごかった」

 急性骨髄性白血病。当時は不治の病と思われ、雅子には「重度の貧血」とだけ伝えられた。

 18歳で役者デビューした雅子は、「西遊記」で三蔵法師を演じた。映画「鬼龍院(きりゅういん)花子の生涯」では、なめたらいかんぜよ、と啖呵(たんか)を切る。「瀬戸内少年野球団」では教師役、白いユニホーム姿がまぶしかった。

 女優の頂点に駆け上がり、夢に手をかけたところで、引きずりおろされた入院だった。

    ◇

 一雄は母親のスエに尋ねた。「おふくろ、新しい強い薬は髪が抜ける、どうしよう」「髪は女の命なんだ。まして女優なんだから、冗談じゃないわ」

 スエと雅子は、旅も酒もいっしょ、夜中のトイレも誘い合う、仲の良い親子だった。母は、脱毛は娘の希望を砕き、再起を妨げると信じた。

 だが、使った抗がん剤では効果が弱く、結局は強い新薬を使うことになる。スエは娘に、やっとの思いで脱毛の副作用を告げた。軽く笑い飛ばされた。

 「ママ、なに言っているの。三蔵法師のときの坊主頭、覚えてないの。頭の形がいいとか色っぽいとか言われたじゃない」

 スエは後悔した。しまった、早く使っておくんだった。

 無菌化した花一つない白い壁に囲まれ、雅子は吐き気や倦怠感(けんたいかん)の副作用と闘った。「白血病か」と騒ぐので、スエは、テレビも雑誌も見せなかった。

 白血病細胞が順調に消え、もう少しで退院も、というときに肺炎になり、息を引き取る。真冬の入院から7カ月、夏が終わっていた。

 新薬を早く使っていれば、と悔いる母親に、一雄が提案し、93年、かつらを無料で貸し出す「夏目雅子ひまわり基金」ができた。患者とのやりとりに没頭したスエは、かつての自分を重ね、こう話していた。「脱毛ごときで治療を控えたり、つらい思いをしたりするなんて」

 2年前、74歳で死去する。基金は一雄らが引き継ぎ、のべ約6500人が利用してきた。

    ◇

 「美しい三蔵法師になるはずが、頭頂部から脱毛してカッパの沙悟浄(さごじょう)に」。美容ジャーナリストの山崎多賀子(やまざき・たかこ)(49)は06年、女性誌でこう書いた。

 乳がんで右乳房を全摘し、抗がん剤や乳房再建の体験を10回の連載にした。髪、眉毛、まつ毛が抜けた写真を公開し、自身をモデルにメークやウイッグ(かつら)の工夫を解説した。

 こころ沈む時間や抗がん剤を乗り越え、山崎はいま、「キレイに治そう」と患者に訴える。ウイッグやメークを活用すれば、美しくなれるし、人に会いたくなる。きれいね、とほめられれば元気が出てくる。「髪は命ではない。でも、前を向いて歩くには、外見も大切だから」

 13年前、私は26歳で睾丸腫瘍(こうがんしゅよう)(精巣がん)の肺転移が分かり、入退院を繰り返した。病、そして死と向き合うと、生き方を問われる。後から来る患者のために動き出した人たちの存在を知った。闇を抜け、道を切り開く生き方を選んだ姿を追う。

 (このシリーズは上野創が担当します。文中敬称略)

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