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気づけば33年 今日も行く

2011年3月8日14時57分

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写真拡大瀬戸上健二郎さん

 その足元は、素足にわらぞうりかサンダルだ。海うなる吹雪の日も、桜舞い散る春も。

 朝8時、瀬戸上健二郎(せとうえ・けんじろう)(69)が診療所に出ると、待合室はもう島の人たちでいっぱいだ。

 「せんせえっ!」

 一番乗りの男性(53)が笑顔で左手をあげる。

 「おはようっ」

 瀬戸上がパンッとハイタッチして、いつもの朝が始まる。ムカデに刺された人。腰痛。糖尿病の人。みんなの血圧を測る。

 「130の90! 血圧、上等満点です」

 大きな瀬戸上の声に、おばぁがうれしそうに頭をさげる。

 下甑(しもこしき)島の「下甑手打(てうち)診療所」。

 1978年、瀬戸上が赴任したとき、鹿児島本土から西へ、船で6時間かかった。今は高速船で1時間15分だ。

 瀬戸上は、鹿児島の農家の出身。鹿児島大学で学び、国立病院の外科医長を務めた。開業するために病院をやめたとき、鹿児島県の下甑村から「半年だけでもきてほしい」と頼まれた。

 島に着いたその夜、七つ年下の新妻みほこ(62)は、頭の芯までしみとおる静けさに涙ぐんだ。波の音だけが響いた。

 医者は瀬戸上1人。看護師と事務員が地元の2人ずつ。

 診療所は当時、砂浜のすぐ前にあった。ウミガメが産卵にあがってくる美しい浜辺。だが玄関の鉄の扉は赤くさび、瀬戸上は、牢屋のようだと思った。

 手術室に、麻酔機はなく、手術台はさび、蠅叩(はえたた)きがあった。村人に「死んでもここで手術は受けたくない」といわれた。

 だが、ここは、島にたった一つの入院できる「最後の砦(とりで)」。村は麻酔機を買い、救急に備えた。「振り向いてもだれもいない」。覚悟を決めた瀬戸上は年中無休、24時間すべて診る。

 「島の1日は退屈するぐらい長く感じるのに、2年、3年はあっという間に過ぎていく」

 半年だけのつもりが、気がつけば、33年である。

 なぜ?と聞かれるたびに、おもしろかったから、と答えてきた。だが本当かと自問する。

 「むしろ厳しい。苦しい。情けない思いもしてきました」

 こんな島にいたら医者として時代遅れになるのでは……。何よりも難しかったのは、開業を夢見る若さのマグマを抑え込むことだった。

 86年に今の高台に移り、ベッドは19床に。がんの手術も多く手がけ、最新のCTも入れ、人工透析もできる診療所に育ててきた。スタッフは22人。離島医療を学びにくる研修医や学生用に村は宿舎もたてた。

 千人以上をみとってきた。わらじを編んでくれたおじぃ、専用の座布団を縫って往診を迎えてくれたおばぁ。3千人の村人のカルテは頭の中にある。

 「島を出よう。島から出たい」。胸にしこりのようにあった思いが消えたのは、60歳をすぎてからだ。

 看護師の有本光美(ありもと・てるみ)(53)は、瀬戸上が手術のあと神に祈るのを、何度もみている。手術させてもらったことを感謝し、無事を祈る。瀬戸上にとって、手術は祈りである。「だから先生は、『神の手』とかいわれるのが嫌いなんですよ」

 飛べなくなったカモメや難産のウシ。瀬戸上は何でも診る。「東京から見たら、へき地、離島にすぎないけれど、島人にとっては島こそが地球の中心だ」

 今日も往診へ、赤いツバキの咲く急な山道を運転してゆく。CDできくのは、熊木杏里(くまき・あんり)(29)の『しんきろう』。彼女が、島で瀬戸上と出会って創った。

 ♪だれのせいでもないと〜 それでも迷いは 消えない しんきろう どこで暮らそうと どこで果てようと

 思い悩みながら、島で夢を追う瀬戸上をうたった歌だ。

 9日、70歳になる。「外科医には賞味期限がある。視力も落ちてきた」。限界も感じる。「だからおもしろい。年をとらないとわからない未体験ゾーンに入ったからね」。ふっと水平線をみるように、ほほ笑んだ。

 瀬戸上は、山田貴敏(やまだ・たかとし)(52)が漫画で描き、そしてテレビドラマになった『Dr.コトー診療所』の天才外科医、五島健助のモデル。ドラマでは、コトーは永遠の青年である。

(このシリーズは、文を生井久美子、写真を中井征勝が担当します。本文敬称略)

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