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血のつながりよりも

2011年11月1日15時23分

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写真拡大志賀正弘さん(左)、としえさん。里子の男の子と

写真拡大川嶋あいさん=堀英治撮影

 棺(ひつぎ)の中の母に生前の面影はほとんどなかった。4月半ば、順番がやっと回ってきた宮城県気仙沼市の火葬場で、志賀(しが)としえ(40)は人目をはばからずに泣いた。

 3月11日の東日本大震災。父と母は自宅近くの高台にある緊急避難所に逃れた。そこにも津波が襲いかかる。両親が一瞬で消えてしまった。

 としえは22歳の時、急性骨髄性白血病を発症した。1年後、骨髄バンクで白血球の型がほぼ一致する提供者が見つかる。だが、移植を受けたら、子どもができなくなるだろう、と医師に告げられた。病室で一晩中泣いた。

 1995年に移植。治療の副作用でのどがはれ、眠れなかった時、母はずっと手を握っていてくれた。その後、同じように骨髄移植を受けた正弘(まさひろ)(46)と出会う。2001年に結婚し、福島県で新生活をスタートさせた。

 里親になることを提案したのは、正弘だった。同級生から子どもの運動会の話などを聞くうちに、自分も育てたいと思うようになった。

 血のつながっていない子を愛せるだろうか。としえは最初、自信がなかった。でも、3人の子がいる姉が思春期の子育てに悩む姿を見て思い直した。血縁があろうがなかろうが、いろいろなことを乗り越えてつながっていくのが家族なんだ。

 夫婦は昨年、児童養護施設にいた3歳の男の子を里子として引き取った。初めは表情がなく、としえを「てんてい(先生)」としか呼べない。それが1カ月もすると、笑顔で「おとうちゃん、おかあちゃん」と抱きついてくる。大きな余震がきた時は、床をさして教えてくれた。「ここのしたに、かいじゅうさんがいて、あばれてるんだよ」

 今、としえは思う。何があっても乗り越えられるように、両親が逝く前にこの子を授けてくれたのかもしれない。これからも一緒に笑ったり泣いたりしながら、彼を守っていきたい。両親が私を守ってくれたように。

    ◇

 体育館にいただれもが泣いていた。8月、宮城県南三陸町の小学校で、5カ月遅れの卒業式があった。卒業証書を手にした23人の子どもたちが、「旅立ちの日に…」を合唱する。曲を作った歌手の川嶋(かわしま)あい(25)も壇上でピアノを弾きながら声を合わせた。震災の日、高台に逃れた子どもたちが、この曲を口ずさみながら夜を明かしたと知り、始まった交流だった。

 家族、家、校舎……。大切なものを失った子どもたちに、川嶋は10代の自分を重ね合わせる。

 3歳の頃、児童養護施設から川嶋家に里子として迎えられ、その後、養子になった。10歳で父が他界。中学生の時、偶然見つけた書類で、両親と血縁がないことを知る。「血のつながりはなくても、あいは母さんのたった1人の娘だから」。そんな母の言葉に救われた。

 歌手になるという夢を支え続けてくれたのも母だった。福岡から東京の高校へ送り出してくれ、「路上ライブ千回」を約束させられた。その母も02年に亡くなった。人気テレビ番組「あいのり」の主題歌でデビューが決まる1カ月前のことだった。

    ◇

 3年後、著書で生い立ちを公表した。育った施設でライブをしたことがきっかけだった。「私も歌手になりたい」と話す子どもたちの姿を見て、「夢を届けることができるなら」と決断した。

 川嶋は言う。「生き方と夢と愛を与えてくれた両親と出会えたから、今の私がある。尊い、本当の親です」

 虐待や遺棄などで親と暮らせない子どもは、全国で約4万7千人。その9割が施設にいる。日本ではまだ少ない里親子や養親子を通して、考えたい。家族って何だろう。

(このシリーズは杉山麻里子、井上知美が担当します。本文中の敬称は略します)

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