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09月21日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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 芸人のヒロシさんが、2015年にユーチューブに開設した「ヒロシちゃんねる」が話題を集めている。「ソロキャンプ」として一人でたき火をしたり魚や肉を焼いたりして、その様子を映した動画の再生回数が最高で220万回以上を記録し、チャンネル登録者数は41万人を超えるという人気ぶりだ。「驚くほどの反応があり、思いがけず仕事になった。好きなことだけして生きていくのは夢だと思っていたけど、そうじゃないことを初めて実感しました」


 そんなヒロシさんだが、長く波乱の道を歩んできて、思えばずっと「逃げる」人生だったという。「でも、『逃げる』こともそれなりに勇気が要ることでした」と振り返る。


 小学生の頃、漫才ブームが訪れた。特にツービートが好きで「自分もお笑いをやりたい」と思い始める。その思いは残しつつも、父親の願いをかなえるべく大学へ進学。代わりに「卒業後は好きにして良い」と言われていたが、結局実家に戻り、地元で保険会社へ就職する。


 「要は、お笑い芸人になりたいのにそれを始める勇気がなかったわけです。そうして就いた保険の営業の仕事ですが、もともと極度の人見知りだった僕に務まるはずもない。毎日が本当に苦痛でした。そのうち朝起きると頭痛がするようになり、半年で退職しました」


 ここでようやく重い腰を上げ、吉本興業の地方事務所、福岡吉本に6期生として所属する。オーディションでは落ちたが、不合格者から「どうしても芸人になりたい人」を募っていたので、それに手を挙げたのだ。


 コンビを組んで漫才ネタを考える日々を過ごすが、福岡ではネタを披露する機会が少ないため東京へ。しかし相方と意見が合わず、すぐに解散。その後はピン芸人として活動するもなかなか売れず、アルバイト生活が長らく続いた。「29歳からの3年間は、ホストで食いつなぐものの生活に疲れ果て、一度実家に戻りました。でもまだ夢を諦めきれなかったのと、何もすることがなかったので、色々な愚痴をひたすらノートに書いていました」 


 それが「ヒロシです。」のネタ元となる。先輩芸人に見てもらったら面白いとウケてくれた。その言葉に背中を押されて再び上京。「30歳までに売れたいと思いながらその年齢は過ぎていたし、芸人仲間がテレビに出始めていたのでかなり焦っていました。とにかく売れることだけを考えてライブに出まくりました」


 そのかいあって徐々にテレビ出演の機会も増えていき、ついに04年に大ブレーク。しかしヒロシさんは、そんな人気絶頂の状況からも「逃げる」ことになるのだった。

 

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