メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

08月14日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

新着記事一覧へ

 落語家としては珍しいクルクルッとしたパーマヘアとメガネが印象的。痛快かつテンポの良い語り口で人気上昇中の小痴楽さん。6月に入り、新型コロナウイルスの影響で休業中だった浅草演芸ホールが再開し、小痴楽さんも約2カ月半ぶりに高座に上がった。「いやあ楽しかった。目の前にお客さんがいるだけでうれしい。安心感があります」

 故・五代目・柳亭痴楽の次男に生まれ、16歳で落語界へ入門。「元々お笑いには興味があったのですが、噺家(はなしか)になる気はありませんでした。でも15の時、CDで初めて落語を聞いてこれだ!と思い、おやじに相談したんです。それで桂平治(現・文治)師匠に弟子入りしました」

 前座修業をするものの、約2年半で遅刻としくじりがあまりにも多いということでクビを告げられてしまう。「ただ、一度破門されると落語界で生きていけなくなるので、父・痴楽の元へ返すという形にしてくれました」。その1年半後、父の弟弟子の柳亭楽輔師匠の門下に入り、ほどなくして二ツ目に昇進する。

 気持ちに大きな変化があったのがこの前座から二ツ目に変わった頃だったという。「お金も頂いてプロとしてやるからには、面白い芸を見せなければいけないという意識がより強くなりました」。それゆえ自分はどんな落語をしたいのか、自分の長所と短所は何なのかなどということを真剣に考えることが多くなった。

 というのも当時の小痴楽さんには大きなコンプレックスがあった。「(桂)歌丸師匠や(三遊亭)小遊三師匠たちが父に恩義があるからとすごくかわいがってくれ、僕を自分が出演する落語会へ呼んでくれていたんです。だから収入面では恵まれていた。ただ、同じ二ツ目仲間の桂宮治や瀧川鯉八らは、客席の規模は小さいながらも名指しで仕事を受けていた。僕は師匠のお供で出てるだけだから、仕事の質が全然違う。宮治たちがうらやましかった」

 何とか自分も名指しで呼んでもらえるようになりたいと、小痴楽さんは他の人の高座をできるだけたくさん聴くようになった。と同時に自分の高座の出来栄えを記録し始める。「毎回録音し、帰り道に聴いて、家でその日のお客さんの男女比率や年齢構成、そして僕がアドリブで入れた『くすぐり』に対する反応などを書き出し、どの層に何がウケたかをグラフにしてまとめたんです。半年ほど続けましたね」

 徹底的に自分のやっていることを分析することで、自らが得意とするものが見えてきたという小痴楽さん。いつしか寄席で笑いを多く取れるようになり、徐々に小痴楽さんを指名する仕事も増えていった。

その他の記事
さらに見る