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06月27日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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プレーヤーとなって汗をかく

 

 525日に及ぶ旅から20061月に帰国。世界中を見てきた体験から僕たち夫婦が望んだのは、自然と歴史が息づき、持続可能型の暮らしを営んでいる日本の田舎住まいでした。まずは肩まで伸びた髪を切り、スーツ姿に戻って東京で仕事を続けながら、「古民家」「原風景」といったキーワードで検索したのです。


 しかし、風情のある宿場町やイメージ通りの土地を訪れても、住まいを手に入れるのは難しかった。ようやくツテを得たのが岐阜県飛騨市の、ある会社経営者でした。のどかな風景と歴史を感じさせる家並みにうれしくなり、ここに住みたいと伝えた途端に「冬の厳しさも知らず、ここで食べていく手立てもない都会もんには無理だ」と断られ、それでも半年近く何度も通いました。今はUターンやIターンなどが歓迎されていますが、当時は「たとえ来たってどうにもしてやれない」という状況だったのです。


 僕は望みを遂げたくて「来るなと言うなら、来て欲しいという存在になるまでだ」と動き始めました。目指すことを見つけたら、自分の持っているスキルを駆使して手段を考える。これこそ大切な仕事力だと思います。


 飛騨市の経営者は印刷業だったので、僕はその会社のメリットとなる事業計画のプレゼンを仕掛けました。それは外国人観光客向けガイドブックの飛騨版の制作案。コストが掛かりすぎるとプランは撃沈しましたが、これをきっかけに飛騨市観光協会の戦略アドバイザーの仕事を打診され、やっと明かりが見えてきたのです。


 飛騨市は観光に力を入れ始めていて、僕も様々な提案をしました。でも、アドバイザーや応援者はいても、汗水たらし責任を持って実行するプレーヤーがほとんどいない。そこで自分がやるしかないと07年に法人登記し、翌年1月には家族で飛騨市古川町の極寒の古民家に移住しました。


 

本音のミッションを仕事にしよう


 

 事業は苦戦の連続でした。やがて2年ほどして、僕がアドバイザーの時に提案していたガイドツアー事業として、飛騨の町と自然を自転車で楽しむ「飛騨里山サイクリング」を始動。ターゲットは欧米の旅行客です。立ち上げた「SATOYAMA EXPERIENCE」のサイトには、当時はまだ珍しかった、体験動画や写真の投稿をSNSで世界へ発信する機能なども採用。無給の月日も長く経験しましたが、知恵を絞り、少しずつ軌道に乗せてきました。


 僕がいろいろなことを手掛けるので「お前は何屋だ?」と土地の人に聞かれますが(笑)、強いて言えば「ミッションコンプリート屋」でしょうか。僕には、今をどう生きれば大切なものを次の世代に渡せるかという問いがあり、その答えを求めて仕事をしている。だから職種は何でもいいし、ミッションのためには、知識や技術などのアプリケーションも人それぞれの力を活(い)かせばいいと思います。


 最後に、僕が考えた仕事5カ条を。ミッションに忠実であれ「ほんまか?」と今を疑い、自ら描くまず笑い、己を信じ、自らが楽しむ全てのステークホルダー(利害関係者)をハッピーに自分の今は、過去の人が残してくれた未来と知る。


 「異端でいいから、思いを仕事に変えていこう」(談)

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