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06月20日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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ひとまず成功したら、その次は?

 

 走るのが速いのは楽しい、面白い。小さい時からそう感じていました。近所の陸上クラブに入ったのは78歳ごろ。100メートルは13秒台で、地域の大会に出るとほとんど大差をつけて1着でしたね。県大会で初めて、記録が全体で2着だったと知った際のインパクトは強かった(笑)。小学6年の時にけがでひざを剥離(はくり)骨折し、中学で陸上部に入部しても1年の前半期はあまり走れませんでした。

 ようやく1年の終わりになって記録が伸び始め、中学3年で100メートル、200メートル、400メートル、走り幅跳び、三種競技AB6種目で中学生全国大会1位になりました。特に200メートルの記録2136は、僕の記憶では同年齢時のカール・ルイスの記録と比較しても速かった。自分もこのまま陸上を続けられると思えました。

 ただ、高校生になると再びけがをした影響などもあり、100メートル、200メートルなどの記録が伸び悩み始めたのです。その頃、初めてオーストラリアでの世界ジュニア選手権に出場し、世界の強さをまざまざと実感しました。この時僕は、100メートル、200メートル競技で日本一を目指すなら勝てるかも知れないが、世界に食い込んでいくのは無理だと考えたのです。

 本音を言えば、陸上競技の王道で花形である短距離走を諦めるのはつらい。それなりの記録を出してきたプライドもあり、もっと工夫し、練習すれば伸びるのではないかと強く後ろ髪を引かれる思いはありました。それでも、突き進んで燃え尽きてしまうよりも、勝負できる種目で世界を目指したい。こうして、悩み考えた末に選んだのが400メートルハードルです。

 高校生が、誰に言われたわけでもなく種目の変更を考えるのは珍しい行動でした。400メートルハードルが好きだったわけではないし、陸上スプリント種目では世界での選手人口も少なく地味な部類です。それでも、自分を見つめ、きちんと理由を持って動きたかった。

 

擦り切れないモチベーションを

 

 陸上競技は当時、データを分析して新しい方法論を持ち込むことは少なかったのですが、そんな中で複雑なのは400メートルハードルと言われていました。走る速さが必要な上に、その走りを減速させるハードルを技能と戦術で越える要素があるからです。僕のようにあれこれ自分で工夫したいアスリートには、走っていない時間も四六時中戦い方を考えていることがプラスになる競技で、それがモチベーションになると思いました。

 スポーツは、種目を選んだら毎日誰かと競争して、1番か2番かと決められる世界です。気を休める間もなく同じことを10年もやっていると、ある日「もういいや」とモチベーションが擦り切れて引退してしまうことがほとんどです。そしてそこをくぐり抜けてきた人間が、次を戦い続けていきます。

 僕も、気持ちが切れないという自信はありませんでした。でも中学校の陸上指導の先生が、早熟で思い詰めるタイプの僕をよく見ていて、走ることに集中しすぎないように他の競技も体験させてくれました。今思えば、けがも幸いだった。能力のピークを温存でき、また、道は一本ではないと別種目への視野も与えてくれることになったのですから。(談)

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