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06月19日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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武者修行のように挑んだレース

 

 高校時代に世界ジュニア陸上選手権大会に出場して世界の強さを体験し、僕には100メートル、200メートル競技で食い込んでいくことは難しいと感じました。そして悩み、考えた末、技能と戦術で戦える競技、400メートルハードルを自分で選んだのです。競技種目を変更してから、大学でもコーチに頼らず練習メニューを全て決めて試行錯誤し、いじりすぎてスランプに陥ったりと苦しみましたが、やがてベストな走り方をつかんで記録は伸びていきました。

 そして2000年シドニーオリンピック代表となったのですが、予選で強い風にあおられて転倒し敗退しました。僕はあれほどの強い風に直面したことがなく、レースの経験不足を思い知らされました。海外では、それからも厳しい気候や環境が待っているはずです。もっと国外転戦の機会が欲しいと考えているうちに、賞金レースに出ればいいと知りエージェントを探しました。当時の日本の陸上界ではルートがなく、結果としてアプローチしたエージェントは全員外国人でした。

 その中であるオーストラリア人が交渉を引き受けてくれ、まずローマでのレースに飛びました。試合は賞金カテゴリー別にGⅠGⅡGⅢとあり、予選はなく8人分の枠に選手を配していくシステムでした。その頃の参加選手はアメリカ人がほとんどだったので、アジア人も一人くらいはという枠があったようです。そこで3位に入り、じゃあ次の転戦地へ急げと、クロアチア、スイス、パリとわずか8日間で計4試合に参戦しました。23歳でした。

 このタフな転戦で得た収穫は、レース経験はもちろん、世界で戦う本質を肌で感じ体で理解したことで、それは大きかった。それまでも日本代表として大会に出た経験はありましたが、日本と国外という感覚的な隔たりや気負いがあり、当時の新聞の見出しにも「世界に挑む日本人」と書かれたものでした。しかし実際に賞金レースに出てみると、どの国からもみな一人で来ていて、そこは個人選手の集合体なんですね。世界という手ごわい相手ではなく、日本もその一員だし、たまたま同じ目的で集まっている場だと分かったのです。

 

気持ちのブロックを外せた


 スポーツは、経験すれば分かると思いますが、外からの学習が成り立ちません。例えば経済を学ぶなら、企業事例を学習する、あるいは本を読むなども役立つでしょう。でも、泳げるようになるには水の中に入らなければなりません。自分の体を水に浸し、慣れるしかない。私の賞金レース体験も、この水に入るのと同じ実践の場を目指したものでした。


 それは、誰にでも役立つのではないか。何か行き詰まった時に自分の居場所から少しでも出てみると、動いた先には強い人もいれば、そうでない人もいるし、とても難しい仕事に見えても、どこかに自分ができる役割はある。そのことに気づき、思い込みを変えていけばいい。それが周囲の常識と違っても、あなたなりの何かを感じ取れればいいのです。

 僕はこの翌年の01年、カナダのエドモントンで開催された世界陸上で日本人初の銅メダルを手にしました。体験のおかげだと思います。(談)

 

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