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06月13日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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出会った人から勇気をもらった


 新卒から4年間ラジオ番組を担当し、その後テレビ報道局に記者として異動。僕の当初の取材企画はなかなか評価されませんでしたが、何とかスクープをものにして認められたいと、上司の許可も取らずに挑んだ特集が評価されました。その次は大阪府警記者クラブに配属され、刑事部が扱う殺人などの強行事件や汚職事件、暴力団関係などにあたる事件記者を担当。警察官からスクープとなるネタを探り続ける過酷な仕事でしたが、追求する面白さにハマりました。


 そうして6年弱の記者生活を終えて東京支社のテレビ制作部へ異動となり、バラエティー番組のディレクターに。虎と一緒に寝るロケやワニと一緒に泳ぐロケといった体を張った番組などを経て、2010年に、当時すでに12年続いていたドキュメンタリー番組「情熱大陸」のプロデューサーの仕事が巡ってきました。「なぜ僕なんだ?」と驚きましたが、事件記者時代に犯人を追いかけてうとまれたのとは違い、今度は相手に喜んでもらえる取材だと楽しみでもありました。


 「情熱大陸」は第一線で活躍する人たちに密着する番組で、僕の担当は7年半に及びました。放映は毎週です。いつも同時進行で20人近い方々に接しながら、1人ごとにかなりの収録時間を費やしました。取材とは相手に共感していくプロセスで、また「気づいていなかったけれど、自分の向かう先が整理できた」と感謝されるコーチングのような立場の伴走でもありました。「ここまで撮るのか」と戸惑った方も、映像化後に納得してくださることが多かったです。


 こうして一流の人を知れば知るほど、僕自身が「この人の生き方いいなあ」と憧れていった感じがします。会社員であることや終身雇用をごく当たり前と思って組織内で仕事をしてきたけれど、必ずしもそういう生き方ばかりではない。そんな刺激や勇気に触れ、「情熱大陸」という番組を通して自立して生きる人のすごさを目の当たりにしてきたのです。


その人なりの価値観で進むすごさ


 例えば、ある写真家は写真に命を懸けていました。だから普段の暮らしは簡素に、食事はスーパーの値引き商品でいいといった価値基準がはっきりあり、人の目や評価は全く気になさらない。他にも出演してくださった方々は教育者や医師、スポーツ選手、アーティストなど実に様々ですが、「自分はこれでいい」という軸がしっかりと定まっているのです。「苦しまなければ栄光はつかめない」と言い切る野球選手もいらっしゃった。


 当時の僕は30代でまだまだ子どもでしたから、自分なりの評価軸を持っていなかった。ただ組織や今までの常識を評価軸にしてきたのだと気づき、「自分の生き方って何だっけ」と考えてしまいました。このまま今の仕事を一生やれるものではないという気持ちは芽生えても、どう行動するかはピンとこないのです。そろそろ組織のマネジメントや経営も視野に入れるべきかと思い始めた頃、そういうことをビジネススクールで学べると知って半信半疑で授業を受けに行きました。


 そして、自分の経験を社会貢献に生かせるなら起業してみたいと思ったのです。(談)

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