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07月04日朝日新聞デジタル朝刊記事一覧へ(朝5時更新)

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映画で感じた私たちの未来


 繊維商社の営業職だった私が起業したのは40代半ば。優秀な化学研究者の友人と共に「石油に代わる資源を服から作る」というビジネスを立ち上げたのです。当時は誰に話しても信じてもらえなかったリサイクル構想でしたが、起業1年後に研究開発に成功し、現在は15年を経て多くの方から応援して頂けるようになりました。


 私がリサイクルを意識したのは、大学時代に見た映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズでゴミを燃料にする車型のタイムマシン「デロリアン」の存在でした。映画でデロリアンが到着した未来は20151021日。私は07年の創業時に、未来のこの日に自分たちがデロリアンをリサイクル燃料で走らせると目標を決めました。その夢はかない、映画に登場したデロリアンは米NBCユニバーサルの協力を得て日本各地を「古着で作ったリサイクル燃料」とガソリンの混合燃料で走行したのです。


 しかし、新卒で繊維商社に就職した頃の私は、自分がリサイクル事業で独立することになるとは思いもしませんでした。ただ、繊維業界は斜陽産業の様相を呈してきており、競争が激しくて価格を下げ、売れ残ったら廃棄してまた安いものを作るのです。負の繰り返しだと引っかかる思いはあっても、営業職としては売り方を考えるのが精いっぱいでした。


 そんな時期の1995年、容器包装リサイクル法が制定されました。関心があった私は、新法施行に対応するための会議の議事録を取るなど、数年間サポート役に徹しました。やがて分別をする消費者がじわじわと増え、自治体が集めてそれを資源として使うメーカーが少しずつ現れてきた。リサイクルはすごく大事で、分別すれば資源になります。ただ、人が行動するまでには長い時間がかかることもここで学びました。この体験がなかったらリサイクルを仕事にするスタートは切れなかったでしょう。


取り残された繊維リサイクル


 その後、容器包装リサイクル法に続いて家電、食品、建設資材、自動車と四つの個別分野でリサイクル法が制定されていきましたが、委員会まで設置されていた繊維製品リサイクル法は立ち消えになったのです。理由は技術がなかったから。国がやろうとしてもダメなのか、本当に打つ手はないのだろうか。会社勤めをしながら私はあちこちにアンテナを張り続けていました。


 繊維の廃棄量は衣類が年間およそ100万トンとも言われ、意外ですが冷蔵庫や洗濯機などの大型家電ゴミを合計した量よりも多い。けれど日本でも世界でもリサイクルは進んでいませんでした。そんなある日、新聞に「アメリカでトウモロコシからエタノールなどのバイオ燃料が作られている」という内容の記事が載っていたのです。トウモロコシと綿は同じ植物だ、もしかしたらTシャツでもいけるのではないか。興奮して友人の化学研究者・髙尾正樹に話すと「まあ、試してみるよ」という返事。本当かとうれしく、私ももっと自由に動けるようにと起業を決めました。ここから、パートナーとなった髙尾との想像を超えるような研究努力が始まったのです。無謀と言われた私たちには、その時、資金も人脈も何もありませんでした。(談)

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