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「団朝」て本人が決めたんや

2008年7月15日

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写真桂米朝(左)が芸名を書いてくれた紙を大切に保管している弟子の桂団朝=大阪市

 私は全部で22人の直弟子を取っているんですが、ちょうど20番目が桂団朝(41)です。入門したのは昭和62(1987)年4月のこと。彼が20歳になる年のことやったんですな。実は団朝という名前は本人の注文で付けたんです。ずいぶん体が大きくて、中学の時から「応援団長みたいや」と言われていたそうです。

 入門した当時、体重は106キロあったんや。一門が勉強会をしている京都・安井神社で彼に初めて会うた時、「体重なんぼある」と訊(き)いたんやが、正直に言うたら「飯なんぼ食わせなあかんのや」と入門を断られると思ったらしい。それで、とっさに10キロ少なく「96キロ」と申告したんやて。

 入門後に、私が芸名を紙に書いて見せた。「米太」「米孝」、どっちかを選びなさいと言うた。そうしたら、「弟子からこんな名前にしてくれと言った前例はあったんでしょうか」と訊くんで、「(月亭)可朝だけや。それ以降はない」。そしたら「実は送別会で友だちからあだ名を芸名にしたらどうかと言われてたんです」と。それはええ話やなと思たんで、その場で「団朝」と名付けました。これで売れへんかったとしても、彼のせいやしな。彼はその時の紙をまだ大事に持ってるんや。

 それにしても、団朝というのはええ名前やな。彼のニンにもよう合うてると思います。直弟子の中では年齢は一番若いんです。そう言えば、私が出かける時はよく運転手をしてくれていたんですが、家を出た直後に私が忘れたショルダーバッグを車を停(と)めて取りに戻ってくれた時、サイドブレーキをかけ忘れてて、車が溝に脱輪してしまったことがあった。彼は破門を覚悟していたそうですが、私はサイドブレーキを引けばいいことすら知らなんだことが恥ずかしかった。ほんまに、世俗の事はよう知らんさかいね。

 団朝は芝居にもよく出ていて、私の好きな言葉である「一期一会」を大切にしている。生の舞台はトチリもあるやろうし、別のおもしろさがあるんですな。今の団朝にどうしてほしいとか、何とか言うつもりはありません。ただ、これからもよろしくお願いしたいですな。

       ◇

 「米朝よもやま噺」はABCラジオで日曜午前9時から放送中。

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