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(14)鴨居玲のパレット

創作の衝動 火山のごとく
[新聞掲載]2007年07月26日

 溶岩の塊で作ったオブジェ、ではない。神戸ゆかりの洋画家、鴨居玲(かもいれい)(1928〜85)のパレットだ。絵の具の塊が、何か恐ろしい物でも宿ったかのごとく盛り上がる。厚さ約10センチ。

写真絵の具で溶岩のように盛り上がった鴨居玲のパレット。奥は鴨居玲の作品群

 鴨居が創作を離れて心を許した数少ない友人、19歳年下の久利(くり)計一(59)が約10年前に画廊から購入し、神戸・三宮センター街で営む眼鏡店に置いている。中央には赤で「Rey Camoi 1975」のサイン。70年代は鴨居の全盛期だ。このころの作品は、例えば、闇に浮かび上がる醜悪な表情の老人、首をつった男……。

 パレットも怖いはずだ。

 「1982」のサイン入りの別のパレットを、鴨居の本籍地・長崎県の県美術館(長崎市)も所蔵する。伊藤晴子学芸員は「パレットには、画家が描いていた時間の堆積(たいせき)があり、それ自体が“自画像”と言える。久利さんのパレットは、わき上がるものが抑えられない感じ」と評する。

 鴨居と久利の出会いは65年、久利の高校3年の春休みのことだ。来店した鴨居がサングラスを購入し、居合わせた久利にレンズの端を磨くよう頼んだ。「当時は全くの素人でしたが、父も店員も手いっぱいで」。でも後日、店に短い手紙が届いた。

 「若い御宅の店の方が、とても親切で……うれしくおもいました。大切な事だと思います」。封筒には鴨居の初個展のパンフレットもあった。「鴨居さんの名が知られ出したころですが、私は誰か知らなかった」と久利は振り返る。

 再会は79年。ドイツで眼鏡マイスター(国家公認眼鏡士)の資格を取った弟の祝いに「あの時の画家に絵を描いてもらおう」と、手紙を携えて鴨居を訪ねた。その後、交友は鴨居の死まで続いた。

 美術談議など、ほとんどない。鴨居は時に父となり、時に反面教師となって久利に人生を教えた。久利は、創作に苦しんだ鴨居の晩年を、そばで支えた。

 久利は80年代初め、鴨居から別のパレットを一度「持っといて」ともらい受け、店で飾ったことがある。後で画廊に渡す用があると言われて返却するが、その時、鴨居に「また、いずれできる」と言われていた。だが、鴨居は約束を果たさぬまま逝ってしまった。久利は別の品を購入して約束を完結させた。「約束があったんだから持っとかないかん。それに鴨居さんを収斂(しゅうれん)したものがパレットだから」

 鴨居の“自画像”は、店の奥で、来店する客を迎える久利を見守っている。(文中敬称略)

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