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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>関西>関西を楽しむ>魅知との遭遇> 記事 (17)谷町のクスノキさん 大阪市中央区谷町7丁目切ればタタリ!?蛇宿る神木 車の往来も多い市街地の道路の真ん中に突然、緑の木立が出現する。見れば真ん中の切り株には注連縄(しめなわ)が張られ、ほこらや賽銭(さいせん)箱まであるではないか――。
これ、地元では「クスノキさん」と呼ばれ、滋賀や京都などからもお供え持参で拝みに来る人が絶えない。樹齢数百年の大きなクスノキが数十年前に枯れた後も、残った切り株が信心の対象になっているらしい。掃除や賽銭の管理は近所の人がしているという。 大クスノキは、本照寺というお寺の境内にあった。ところが1937(昭和12)年、御堂筋の整備などと同時期に進んだ大阪市内の道路拡幅で寺の敷地が後退、木は路上に取り残された。ほかのクスノキは伐採されたが、この木は以前から「ミイサン」(蛇)が住む神木と崇(あが)められていたので、伐(き)られなかったという。 「伐ろうとした人や、その家族が病気になったんです。うちが以前やっていた鉄板工場で、クスノキさんのお供物をくすねた工員がケガしたこともあった」。目の前に住む桐石晃さん(82)が語る体験は、「伝説」というには生々しい。25年ほど前にアオダイショウが出てきた時は新聞、テレビを巻き込んでちょっとした騒ぎだったと、そばで薬局を営む竹本信三郎さん(74)は懐かしむ。 大阪歴史博物館の伊藤廣之学芸課長が調べたところ同様の路上の巨木は大阪市内に19本あった。寺の境内や民家の庭先から外に出てしまった、寿命が長いクスノキやイチョウ、エノキが多い。交通の邪魔になっても残れたのは「伐れば祟(たた)りがある」という伝承があったからで、中でも目立ったのが「ミイサン」だった。 伊藤さんによれば、ミイサンが住む家は繁栄するという伝承は、商人の町・大阪ではごく一般的。「人々は長く生きてきた古木に畏怖(いふ)を覚え、そこに身近なミイサンを持ち出してその神聖性を表現した。それが伐採を踏みとどまらせる結果になったのでしょう」 人工的に植えられた街路樹に対して、街角の巨木は人の管理の手が及ばない生命力を感じさせる。「ただ、巨木が町づくりの核になっている事例は意外に少ない。自然の移ろいを身近に感じさせる地域のシンボルとして、もっと活用してほしい」。伊藤さんが気をもむのは、公共空間である路上に露出した木は、常に行政の管理という脅威にさらされていると感じるから。現に、職場である博物館のそばにある別の大クスノキも、ある年度末の深夜に突如、枝ぶりが変わるほど刈り込まれてしまった。 ちなみに、東京都内では道路建設で路線にかかった木は「基本は伐採」。特に都市計画道路の多くは終戦直後の46年に路線が引かれており、「名木への配慮などほとんどなかったでしょう」と道路建設部街路課。しかし、最近では地域で親しまれる木を残す方向に転換しつつある。「例えば、幅16メートルの道路の両側に10メートル幅の歩道を設けて既存の木を取り込む努力をしています」 PR情報この記事の関連情報魅知との遭遇
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