|
ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>関西>関西を楽しむ>魅知との遭遇> 記事 (23)旧乾邸 神戸市東灘区阪神間モダン 華麗なる証人 斜め格子の小窓で飾られた瀟洒(しょうしゃ)な入り口で弾んだ心が、次は玄関ホールの階段の装飾美に圧倒される。
重厚なチークの一枚板に透かし彫りされているのは、古代ギリシャ・ローマの柱頭装飾にも使われたアカンサスの花。それが連なって吹き抜けの3階まで優雅な曲線を描く。 〈こういうのが、ほんまの“華麗なる一族”の住まいやな〉 一瞬頭をかすめる思いが、ボランティアの解説で一気に現実化する。「この手すりだけで、普通の民家なら3軒は建つそうです。ン千万円ですね」 神戸市東灘区の住吉山手にある旧乾(いぬい)邸は、昭和初期の阪神間の代表的な個人邸宅で、設計者は様式建築の名手、渡辺節(1884〜1967)。国の重要文化財に指定された大阪市の「綿業会館」も渡辺の設計で、よく似ていると聞き、後日のぞいてみたら、乾邸に似たデザインの内階段や窓の斜め格子が同じリズムを感じさせた。 住んでいた乾豊彦・乾汽船会長は、日本ゴルフ協会長も務めた実業家。「私の履歴書・経済人21」(日本経済新聞社)によると、三井物産にいた豊彦さんが先代の乾新治さんの長女と結婚した際に、先代が新築した。 自邸を新婚夫婦に譲って自分たち夫婦が住むためで、その間、新婚の豊彦さんたちは、9カ月近くかけて船で世界一周の新婚旅行をし、ロンドンでは夫婦でゴルフを楽しんだという。 建築費は45万円。その5年前に建設された綿業会館の建設費150万円が、いまなら60億円とも90億円ともいうから、“億ション”どころではない。 建築史研究者らによると、乾邸のある住吉山手や御影周辺は明治末から戦前にかけて、大富商や実業家の敷地数千〜1万坪という大邸宅が集中し、“日本一の長者村”と呼ばれた。 1936(昭和11)年に建った敷地約1100坪の乾邸は、その中では新しく、規模も大きくないが、まもなく戦時統制令の時代に入ったため、“金に糸目をつけずに”造られた戦前最後の豪邸の一つになった。 和洋を折衷させ、多彩な装飾と工夫をさりげなく、個別に配した各部屋の造りには、謡曲や能の一方で、ゴルフも楽しんだという施主夫妻や来客への気配りがあり、バブル成り金や、見た目だけの新建材では生み出せない本物感が漂う。 設計した渡辺節も御影に住んだといい、この建物自体が、東京をしのぐ大都市だった大阪とハイカラなミナト神戸の間に発展した阪神間の、ゆとりある暮らしとモダニズムを象徴する“証人”ともいえよう。 星霜を経て阪神大震災にも耐え残った旧乾邸は96年に相続税として国に物納された。神戸市が買い取り観光スポットにする予定だったが、市の財政難で雲行きが怪しくなったため、複数の市民グループが保存、活用を呼びかけている。 その一つのNPO法人「アメニティ2000協会」(事務局・西宮市)は毎月第4土日曜日に内覧会を開いており、一般入場者は1万人を超している。 PR情報魅知との遭遇
|
ここから広告です 広告終わり お知らせ関西の企画特集関西の特集
朝日新聞社から |