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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>関西>関西を楽しむ>魅知との遭遇> 記事 (28)大台ケ原の神武天皇像 奈良県上北山村獣の森 月が照らす神話 夜の森は闇への畏(おそ)れの感覚を呼び覚ます。増えすぎて困りもののシカですら、闇の中では目だけが爛々(らんらん)と光る怪物となる。先人たちが神話を編み出した状況の一端を実感できる。感じるだけでない。本当に現れるのだ。この大台ケ原では。
登山口から1時間ほど歩いた牛石ケ原。木々の切れ間から、身の丈4メートルはあろうかという巨人が突然現れる。甲冑(かっちゅう)をまとい、手には金鵄(きんし)がとまった弓。初代天皇の神武天皇だ。動かぬ銅像だが、月明かりに照らされた雄姿は迫力あふれる。 大台ケ原と神武天皇のゆかりは深い。実在は別として古事記などから推測すると神武天皇は東征で大和を目指した際、熊野灘から大台ケ原を抜けている。だが、像を目の前にすると素朴な疑問が浮かぶ。「こんな山奥にだれがつくったの?」 1928年8月21日付の大阪朝日新聞に「神武天皇御尊像 吹きすさぶ風雨の中に厳かな除幕式挙行」という記事が出ている。銅像は4・6トン。搬送は伝説に基づいて熊野灘から行われ、延べ1600人が約80日かけて人力で運んだ。創立の中心になったのは、大台ケ原を事実上「開山」した古川嵩(かさむ)だった。 古川は1860年、岐阜県生まれ。31歳の時に、地元の人すら近寄らなかった大台ケ原へ入り、「神習教大台ケ原大教会」の教会長としてこの地に定住した。教会の教義は自然崇拝。像建立の目的も、大台ケ原の自然に先に接した先人への敬意だったらしい。 当時、大台ケ原には今は絶滅したとされるニホンオオカミが多数生息しており、古川もオオカミのつがいと暮らしたと伝えられている。3代目教会長の田垣内進一さん(71)は「私が子供のころでも、夜になると戸を震わせるような遠ぼえが聞こえました」と話す。 だが、大正時代に伐採が始まり、1961年に山頂近くまでドライブウエーが完成すると環境は一変する。かつて人を知らぬ動物たちは古川の姿をみても逃げなかったというが、逆に今では人に慣れすぎ、シカたちは目が合っても平然としていて憎らしいほどだ。 日中の神武天皇像も、夜の神々しさを失っている。腰の付属品は外れ、さくも壊れたままだ。像に登る不心得者もいるそうだ。周辺には神武東征と大台ケ原のかかわりを説明するものはなく、「何なの、この像?」といぶかしがられる。 像が立つのは奈良県上北山村の村有地。だが、大台ケ原は国立公園として管理は環境省に責任がある。像をつくったのは古川でも、教会が直接携わったわけではない。整備するにしろ、管理するにしろ、だれが責任を負うのかはっきりしない。 保護活動は、今年(※2007年)大きな動きがあった。国は貴重な森林生態系が残る「西大台」の立ち入りを1日30〜100人に抑えた。だが、田垣内さんはさらなる対策を訴える。「大台ケ原がかつての姿に戻るには、千年単位で保護を考えなければ」。だが、それが実現したとしても、私たちが見ることは不可能。神武天皇像は見られるだろうか。 PR情報魅知との遭遇
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