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ここから本文エリア 現在位置:asahi.com>関西>関西を楽しむ>魅知との遭遇> 記事 (36)岡山・吹屋のベンガラ集落夕日差す赤い格子の富の跡 山に抱かれて赤い町がある。
波のように折り重なる朱色の瓦、くすんだ赤茶色の壁。中国山地をぬう道を抜けると、こつぜんとその町はあらわれる。 岡山県高梁市成羽町吹屋。 銅山から採れる硫化鉄鉱を加工した赤色顔料「ベンガラ」の産地として知られ、江戸時代末期から、明治、大正と繁栄を極めたまちだ。「吹屋よいとこ 金掘るところ 掘れば掘るほど金が出る」。その様子は俗謡にもうたわれた。 父親の代までベンガラの窯元を営んでいた、長尾有子さん(78)は、当時の様子をいきいきと語ってくれた。 石州から大工を呼んで、数年がかりで造られた豪商の家屋。泊まり込みで作業にあたっていた窯大工の男衆たち。「他は何をやってもダメだけれど、ベンガラを焼くときは目の輝きが変わる、と有名な男衆がいてね。ほうろくの煙を見るだけで焼き加減がわかったんですよ」。続けて、「こんな逸話や豪勢な話がいくらでもありました」。 ベンガラは、建材の防虫、防腐剤や衣料の下染めのほか、伊万里焼や九谷焼といった陶磁器、輪島塗などの漆器に欠かせないものだった。「言うに言われん、手間をかけた手づくりの味」。田村教之(たかし)さん(80)はベンガラの良さをこう表現する。 田村さんは、下谷地区にあったベンガラ工場の5代目。家業を継いだ時には、すでにベンガラ産業は斜陽で、人手が足りない時は、自身も出向いて作業を手伝った。「ベンガラ工場で、仕事着を着て、真っ赤になって働いたことのある人は、私が最後でしょう」 吹屋も他の鉱山まちと同じような末路をたどった。近代化の波にのまれ、銅山は1972年に閉山。銅山とともにベンガラ産業も衰退した。田村さんが74年に家業をやめたのを最後に、ベンガラ工場も姿を消した。 そして、町にはベンガラで柱や格子が赤く塗られた家並みが残った。 過疎化が進む中、町は観光地化へとかじをきる。77年に国の重要伝統的建造物群保存地区、昨年には経済産業省によって近代化産業遺産の一つにも選定された。映画「八つ墓村」のロケに使われた広兼邸、ベンガラ工場を復元した「ベンガラ館」、ベンガラ豪商たちの邸宅など資源は多い。空き家を使って、観光客向けのお土産物店や食事どころを、週末だけ開く人も出てきた。ただ、中心部の整備された町並みをはずれると、忘れられたかのような空き家に行きあたる。町全体で、空き家が2割ほどを占めているという。 帰り道、ベンガラ発祥の地とされる下谷地区で、いまにも崩れ落ちそうな家屋や蔵をふたたび目にした。夕日と解け合うくすんだ赤に、ぞくりとした。過去の繁栄とその後の衰退の歴史を身をもって示しているからだろうか。 「大きくうねった歴史の上にできた赤い町」 田村さんの言葉が、よみがえった。赤い町は、つねに両おもての顔をうかがわせる。底知れぬ魅力の一端がこれなのかもしれない。 PR情報魅知との遭遇
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