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【飛鳥の美】シンポ・謎のキトラ壁画 人類の宝、生かせ

2008年04月17日

 奈良県明日香村のキトラ古墳壁画の十二支像が特別公開されるのを記念したシンポジウム「謎のキトラ壁画〜そのメッセージと文化遺産の活用」(東アジア文化遺産保存学会、明日香村、朝日新聞社主催)が5日、大阪市北区のリサイタルホールで開かれた。なぜ、高松塚にはない十二支がキトラにはあるのか。保存と活用はどうあるべきか。考古学や保存科学、画像のデジタル化の専門家が活発な討議を繰り広げた。

写真特別展示されるキトラ古墳壁画・十二支像の寅(トラ)=文化庁提供
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沢田正昭さん
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来村多加史さん
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本田光子さん
写真「複合現実感展示」の概念図。ゴーグルをかけると(中央)、現実の風景(左)と、立体画像で再現された建物(右)が融合してみえる=東京大学情報学環・池内研究室提供
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池内克史さん
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百橋明穂さん

 ――専門とご見解を。

 沢田 文化財の保存、修復を専門に研究している。昨年11月、このシンポジウムの主催者の一つである「東アジア文化遺産保存学会」を立ち上げた。いま、中国、韓国、日本に約400人の仲間がいる。各国の文化遺産を協力して守ろう、という狙いだ。

 来村 キトラの石室を復元したことがある。いまほぼ消えている十二支のうちの6体を、想像を含め復元した。そのときの経験を踏まえ、近年、「キトラ古墳は語る」という本などを書いた。

 本田 勤務先の九州国立博物館には、開館から2年半の間に、約460万人の来館者があった。多い日は1日2万人が来てくれる。太宰府周辺の自然、史跡と一体になった博物館活動を進めており、リピーターが大変多い。

 ――高松塚には、なぜ十二支の絵はないのだろう。

 来村 二つの古墳の年代は接近しているが、キトラ古墳の次が高松塚古墳で画家は同一人物だと思う。描き手は複数で描くが、デザインしたのはひとり。デザインした画家は芸術家なので、同じ仕事をさせられるといやがる。キトラで描いたのとは違った趣向で、と変わったのでは。その画家は唐の長安に留学した経験があるはず。そうでなければ描けないディテールがみられる。

 百橋 高松塚とキトラは同じ画系の人だが、1人が描いたとはいえない。高松塚が先でキトラが後だというのが私の見方だ。十二支は古くからあるが、獣頭人身という形で表現されるのは非常に新しい。一方、宮廷内の男女の群像図などは漢代からあるテーマだ。テーマが新しいのは、キトラが後にできた古墳だからだと考える。

 来村 キトラとよく似た獣頭人身は、後漢時代の石墓にすでに描かれている。

 ――十二支の武器は。

 来村 北壁の3体は、赤い弓のような持ち物。中国で後漢時代にこれとよく似た盾があった。実戦には使えないが、この時代の中国の武道には有効な武具だ。恐らくそれが武者の舞の小道具となって残り、はるか日本までやってきたのではないかと推論している。東壁の寅(とら)も西の戌(いぬ)も南の午(うま)も矛(ほこ)をついているので、東西南の九支はみんな矛を持っていたのではないか。矛と盾の組み合わせというと、日本書紀にも出てくる、天武天皇の大葬で舞われたという「楯節(たたふし)の舞」を連想させる。

 百橋 中国の場合、武器を持つ獣頭人身像は必ずしも十二支ではない。平安時代に出てくる十二神将は、普通の服装で様々な武器を持つ姿で描かれている。キトラの絵描きは、日本に入ってきていた十二神将と十二支をくっつけ、武器を持つことにしたのだろうか。図像の持つ意味とその解釈が変わってしまった例だろう。

 来村 十二支の寅の像は矛を右手で持っているが、同じような例が唐の壁画にある。また、キトラの十二支の寅の顔はこっけいなのに、四神の白虎はこわい顔だ。こっけいな顔の例を探すと、唐にはよく似たものがある。キトラの寅の絵の手本は、きっと長安のどこかの墓に眠っていると私はにらんでいる。

 沢田 欧州や中国では壁画を現地からはぎとって博物館で保存、展示している。しかし最近は、欧州でも現地での保存を重視する動きもある。キトラの絵が描かれた漆喰(しっくい)をいったん壁からはずしたのは正しい判断だったと思う。問題はその後だ。次なる手を文化庁にきちんと示してもらわないと、安心して待つことができない。これからは公開を前提に、保存技術を考えてほしい。

 ――漆喰を使わず壁に絵を描いた装飾古墳の保存などの現状は。

 本田 装飾古墳は漆喰層がないのでキトラと単純には比較できないが、公開の方向で努力している。石室内の環境を維持し、人の出入りを制限する一方、調査も続け、デジタル技術などで記録。それを博物館や現地で公開するという方法を採っている。

 百橋 私の一番の疑問は、高松塚古墳もキトラ古墳も造られて1300年、壁画はずっと残ってきた。なのに人間に発掘されてからダメになった、ということだ。やはり発掘前の状況、環境を維持することがいいのではないか。

 沢田 人間が関与するようになって問題が出てきている。地球温暖化の問題もある。気温が上昇し、古墳にも影響している。

 ――文化遺産の活用は。

 百橋 キトラ古墳で見られた十二支は、「還暦」などの時間や「子午線」などの方角という様々な形で、生活文化の中に浸透している。それらの概念は当時からあったことを理解してもらいたい。

 池内 遺跡を守るには、それを活用することだ。ただ遺跡を破壊することや、地元の人々の生活を乱すことは許されない。それに、景観を守るためにマンションをつくるな、というのもかわいそうな話で、バーチャルリアリティーなら彼らの権利も守ることができるのではないか。

 沢田 明日香村の壁画では貴重な体験をした。だから壁画の保存について世界に発信できる。遺跡全体のマネジャー育成の場となることも期待されている。

 来村 古墳は墓であり、十二支像からは、画家が被葬者の昇天を願っていたことがうかがえる。学術の名のもとに、そういった思いを踏みにじってはならない。高松塚古墳も遺骨を戻して、本来の姿を残して次世代に引き渡していくべきだ。

 本田 これからの文化財の保存、活用のキーワードは市民。九州国立博物館では450人のボランティアが、様々な活動に参加してくれている。今の時代、文化財保護に市民の直接参加というところまできている。そのうえで、現地での保存について考えていきたい。

■CG技術を使い 仮想世界に復元

 コンピューター・グラフィックス(CG)を使って遺跡、遺構や建造物を立体的な映像に復元する「文化遺産のアーカイブ化」に取り組んでいる。現在、カンボジアのアンコール遺跡にあるバイヨン寺院でもデジタル化を進めている。明日香村でも、特殊ゴーグルをのぞくと古代の都や寺の仮想映像が現代の風景に重なってみえる「バーチャル飛鳥京プロジェクト」などを試みてきた。

 まずコンピューターで、失われた建物の3次元データ、つまり立体画像を図面などから生成する。遺跡や遺構の現場で映像を再現し、実世界と仮想世界を融合してみせる方法を「複合現実感展示」と呼ぶ。遺跡に手を加えず、村の人の生活も崩さずに過去をよみがえらせることができる。また、建物の位置が時代によって変遷したり、学者によって複数の説があったりする場合も、自由に映像を切り替えることができる。

 現地で古代の風を感じながら映像を見て欲しい。キトラや高松塚の壁画を博物館で一般公開するのもいいが、古墳の現場でゴーグルをかけると、中をのぞいたかのような映像が見られるという仕掛けはどうだろう。将来は明日香村全域でこんなことができるようになったらいい。

 レンタサイクルや電動カートと連動させてはどうだろう……。明日香村の「まるごと博物館構想」と連携させるアイデアもわいてくる。

■「十二神将」と結合か

 高松塚古墳とキトラ古墳を比較すると、四方を守護する四神の絵は双方にある。でも、頭が動物で身体が人間の十二支像はキトラ古墳にしかない。四神と十二支はとても密接な関係にある。

 十二支の思想は漢の時代から普及、日本にも早い時期に伝わったようだ。「甲(きのえ)」「乙(きのと)」などの十干(じっかん)と組み合わせた「干支(かんし)」で特定の年を指したり、子(ね)で北、午(うま)で南の方角を表したりするように、時間や空間を12分割する概念として幅広く使われてきた。

 キトラ古墳の壁に描かれた十二支像の衣の色は、方位に対応しているらしい。盗掘坑から入り込んだ泥の裏に、南壁に描かれた午の真っ赤な衣の色が残っていた。各壁3体の十二支像の服は、同じ壁に描かれた四神の色に合わせて北は黒、東は青、南は赤、西は白だった可能性が高い。

 こうした獣頭人身の十二支像は、中国では隋の時代から墓の副葬品である「俑(よう)」という人形がある。ただ、中国の十二支は武器を持っていないのに対し、キトラの像は矛などの武器を持っている。なぜ、日本では武器を持つようになったのだろうか。

 平安時代には、薬師如来を守る「十二神将」として、キトラそっくりの獣頭人身で武器を持つ十二支像が描かれている。十二支と十二神将を同一視する思想は、8世紀初めにまでさかのぼるのではないか。当時最新だった獣頭人身の十二支像が、仏教の十二神将と最初に結びついたのは日本だったのかもしれない。

   ◇

◇特別講演・討論

百橋明穂(どのはし・あきお)さん(神戸大学教授)

池内克史(いけうち・かつし)さん(東京大学大学院教授)

◇討論

沢田正昭(さわだ・まさあき)さん(国士舘大学教授・東アジア文化遺産保存学会会長)

来村多加史(きたむら・たかし)さん(奈良文化女子短期大学教授)

本田光子(ほんだ・みつこ)さん(九州国立博物館学芸部博物館科学課長)

討論の司会は朝日新聞記者・天野幸弘。

   ◇

●キトラ古墳壁画公開 5月9日〜25日 飛鳥資料館

●国宝法隆寺 金堂展 6月14日〜7月21日 奈良国立博物館

●高松塚古墳壁画公開 5月31日〜6月8日 古墳近くの修理施設

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