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飛鳥の美(上) 「十二支像」武器を持った最新デザイン

2008年05月07日

 飛鳥資料館で公開されるキトラ古墳の壁画は3点。十二支の子(ね)丑(うし)寅(とら)だ。寅の丸い目を見開いたユーモラスな表情は、神聖な雰囲気をまとう朱雀(すざく)など「四神」とは異なり、親しみやすさを感じさせる。

写真キトラ古墳石室に描かれた十二支・寅=文化庁提供

 十二支は日本では「えと」で知られる。神様へ新年のあいさつに行く競争で、ウシがゴール直前、頭に乗っていたネズミに抜かれる……という民話が日本にあるが、実は十二支は中国生まれだ。

 もともとは動物とは関係なく、甲乙丙の十干(じっかん)と組み合わせた年表記で、文字が登場した殷時代(紀元前1600年〜同1046年)に、すでに暦に使われていた。その十二支が、いつからか動物に結びつき、西暦90年ごろの書物では、現在と同じネズミ、ウシなどが当てはめられている。

 山西省太原市にある北斉時代(550〜577年)の貴族・婁叡(ろうえい)の墓には、墓道や墓室の壁に等身大の人物像がびっしりと描かれている。その天井に、中国では最古の十二支の壁画がある。ただし、描かれているのは動物そのままの姿のウシやトラだ。

 動物の頭に人間の体の十二支が登場するのは、隋時代(581〜618年)の長江流域。壁画ではなく、焼き物の像として墓に収められ、唐時代(618〜907年)に続く。

 キトラ古墳が造られたのは690〜710年ごろだ。この時期、中国でも獣頭人身の十二支像は、まだ北部地域で広がり始めたばかりだった。しかも、中国で壁画に描かれたのは763年の墓の例が最も古く、キトラの方が早い。630〜669年には、7回にわたって遣唐使が送られている。キトラの十二支は、彼らが中国から持ち帰った、当時最新のデザインだった。

 百橋明穂(どのはし・あきお)・神戸大学教授(美術史)は、キトラの十二支が、矛などの武器を持っている点に注目する。「唐では、武装して薬師如来を守る十二神将の図や像も広まった。武器を持つ十二支は、その影響を受け、日本で最初に生まれたのかもしれません」

 キトラとほぼ同時期とみられる法隆寺金堂の壁画には、薬師如来の脇に恐ろしげな顔をした神将が4体描かれている。この時期には十二神将が日本にもたらされていたことは間違いない。

 十二支と十二神将を考える上で、興味深い資料がキトラと同じ明日香村で見つかっている。74年に川原寺裏山遺跡から出土した、鳥の頭の塑像片だ。高さ8センチ。鳥の頭に人の体をした仏教の守護神、迦楼羅(かるら)と推定されてきた。

 飛鳥資料館の加藤真二・主任研究員がこのほど、獣頭人身像の類例として同遺跡の出土品を再調査したところ、左右に開いた鼻の穴と口先の破片があった。どう見ても馬の鼻面だ。ウマとトリがそろえば、十二支の可能性もある。

 塑像が置かれていたと見られる川原寺の創建は7世紀中頃。他に神将とみられるよろいを着た像の破片も出ており、法隆寺の壁画よりも古そうだ。中国と日本の間の情報の流れは、想像以上に速いものだったことがわかる。

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 キトラ、高松塚両壁画、法隆寺金堂の再現壁画が、相次いで公開される。この「飛鳥の美」を多くの人の心に刻んでもらうため、1300年前の壁画のドラマを追う。

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