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キトラ古墳「四神」特別公開

キトラ古墳壁画特別公開 記念シンポジウム・東京

2010年4月30日

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写真国立西洋美術館館長 青柳正規さん=郭允撮影写真明日香村教育委員会調整員 相原嘉之さん=郭允撮影写真国士舘大教授 沢田正昭さん=郭允撮影写真国学院大教授 鈴木靖民さん=郭允撮影写真神戸大教授 百橋明穂さん=郭允撮影写真西岡麻生さん=郭允撮影写真河合敦さん=郭允撮影

 奈良県明日香村のキトラ古墳(特別史跡)に描かれた四神壁画が、5月15日から同村の奈良文化財研究所飛鳥資料館で一挙公開されるのを記念したシンポジウム「四神になった動物たち―キトラ壁画が語る東アジア」(東アジア文化遺産保存学会、明日香村、朝日新聞社、朝日新聞文化財団主催)が4月18日、東京都千代田区の有楽町朝日ホールであった。四神の謎や壁画の保存と公開をめぐり、約700人の聴衆を前に熱い討論が交わされた。

    ◇

 ――キトラ古墳の壁画をどう考えるか。

 鈴木氏 キトラの壁画には東アジアの様々な文化が凝縮されている。四神図は中国の前漢がルーツだし、十二支も天文図も中国に起源を持つ。朝鮮半島の高句麗や百済にもある。7世紀後半〜末の東アジアの絵画や壁画が日本列島にたどりつき、飛鳥の地に花開いたのがキトラだ。

 百橋氏 キトラを見る時のポイントを2点。青竜は高松塚と向きが同じだが、キトラの白虎は頭が北向き。玄武はほぼ同じで、同一の原本から描いたのだろう。円の中に四神があり、十二支がくるくる回る。正倉院文書では白虎が消えて三神になっているが、四神の考え方が理解されていなかったのではないか。

 朱雀は地上を駆け回っているように見えるが、こうした例は中国にはない。四神は中国からセットで来て、高松塚とキトラに入ったとすると、朱雀だけ日本で独自に創造したり変えたりしたとは思えない。それが朱雀の謎だ。

 西岡氏 私が歴史好きになったのは、高校の社会の授業で、とても楽しい先生の話で興味を持った。キトラ壁画の話には興味津々だ。

 河合氏 教科書は今、どんどん変わっている。よく知られている源頼朝像は間違いの可能性が高く、今の教科書には載っていない。高松塚は日本史の教科書すべてに載っているが、キトラ古墳は一つもない。これを機会に広めていきたい。

 ――墓の中になぜ天文図や四神を描くのか。

 百橋氏 中国で四神は漢代からある。造形化されたのは隋・唐の時代。四神は東西南北の方角を守り、十二支は時間の循環を表している。そうした伝統が日本にも広まったのだろう。

 鈴木氏 古墳に絵を描いた日本の例では、九州の装飾古墳がある。それとは全く違う人間世界を取り巻く自然、宇宙観、秩序を守る中国の思想が日本列島に入ってくる。中国では故人の生前にゆかりのある様子を描き、その影響を受けたのが高松塚の群像画だ。

 百橋氏 高松塚とキトラを比べると、私は高松塚が先だと思う。キトラの十二支は新しく、隋・唐時代から出てくる。それが日本に伝わったのだろう。四神のぐるぐる回る循環も中国ではあり得ない。高松塚の方が古い伝統を引いている。

 鈴木氏 私の考えは逆だ。十二支像は四神とセットの例が多い。中国で一番古いのは北魏。隋・唐では墓誌に「子丑寅」の文字が書かれている例がある。日本は新羅の影響を受けたと思う。新羅には7世紀後半、十二支を表現する風習があり、日本に入ってきたのは7世紀末でもおかしくはない。キトラの方が基本的な構図が多く、高松塚は変化していく。

 沢田氏 青竜と白虎には共通する原図があり、体の向きを逆転させて微妙に描き分けている。十二支像も武器などの持ち物を変えるだけで原図はほぼ同じ。こうした描画の技術を追究することが手がかりになる。

    ◇

 ――誰も見ない墓になぜ、絵を描くのか。

 河合氏 亡くなった人の権力が強く、その人のために贅(ぜい)を尽くした。一族のために立派な墓を造ったのだろう。

 百橋氏 唐代の皇帝陵では山陵を造る。壁画は隋・唐の時代が多いが、太宗が先に亡くなった皇后のために陵を造り、絵を描く。ただし、皇族の墓の1割ほどしか壁画はない。好みと言えば好みだ。

 西岡氏 壁画で豪華にしているのに、なぜ被葬者の名前を記さないのか。

 鈴木氏 天皇陵なら墓誌が出てこないとも限らないが。日本の場合は中国のものの「いいところ取り」をしている。そのことが東アジアの中でのキトラの位置づけを考える上で大事な点だ。

 ――四神が描かれた壁画古墳は中国にも朝鮮にも多いのに、日本はなぜ、キトラと高松塚の二つだけなのか。

 百橋氏 一つに時代背景がある。キトラも高松塚も藤原京のちょうど南に位置し、同じ墓域に天武・持統合葬陵もある。平城遷都後、そこに墓をつくる必要がなくなる。火葬が多くなり、大きな棺も墓室もいらなくなる。

 鈴木氏 702年が火葬墓の始まり。葬式の文化とのかかわりで異国の壁画を描いたと考える。中国に一つの基本形があるとすれば、いろいろなルートで日本に入る。高句麗の影響だけでは説明ができない。中国から朝鮮半島の波及ルートのほか、中国から直に来る可能性もある。日本側の意志で選択して採り入れた、ととらえるべきだ。

 百橋氏 美女の群像を描くのは中国に例があるが、高松塚に描かれた女性の服装は、どう見ても当時の日本のものだろう。選択的に採り入れ、それを自分たちの都合のいいように直していった。

    ◇

 ――文化財の保存と活用について議論したい。

 沢田氏 平城宮の大極殿跡を発掘した時、地層の断面を高さ20メートルほどはぎ取った。土の層に接着剤で布を張って補強し、はぎ取るという日本古来の表具技術の応用だ。キトラ壁画のはぎ取りでもこうした表具技術が応用された。一方で、地球温暖化に伴い、キトラの石室には様々な影響が及んだと報告されている。21世紀の保存科学は展示・公開・活用を前提に考えていくことが重要。これまでの日本の成果を世界に発信するためには拠点が必要だ。明日香村に国際壁画修復研究センターを設置することを提案したい。

 青柳氏 本物を見ることが重要だ。博物館や美術館では、本物を見ることでいろんな想像を膨らませることができる。分からない部分を知りたいと思う。だから、夢を全部見せるテーマパークとは全く違う。

 河合氏 高校教師をしていると、素晴らしい文化財なのに表に出ず、大事にしているだけと感じる。関係者に知恵を絞ってもらいたい。

 西岡氏 現地に行って本物の壁画を見たいと強く感じた。でも、高松塚は知られているのに、キトラについて知らない人が多い。全国で見る機会が作れないのだろうか。

 百橋氏 遺跡と壁画をどうやって共存させるかは、非常に難しい問題だ。遺跡を守るのか、それとも壁画を守るのか。これからも技術を発展させながら、将来を見据えて活用を考えないと。

 鈴木氏 一番大事なのは、本物に直に触れるということ。本物を見ると教科書の写真とは全然違うということがわかる。明日香村が拠点になって、市民が理解しやすいものを長期的にぜひ、考えてもらいたい。

 沢田氏 今回、資料館で展示されるのは切り取られた絵であり、あくまで部分的な芸術だということ。石室の空間をまず想像し、その中での絵の位置づけを考えてほしい。古墳のある絵が大事なのか、絵のある古墳が大事なのか。そんなことを含めて文化遺産や遺跡のあり方を考え、そして活用を探っていけるかが、今後の課題だろう。

     ◇

 ■特別講演「文化財の保存と公開」 青柳正規氏

 世界には多様な文化がある。日本文化や中国文化だけでなく、日本の中にも様々な文化がある。そうした文化は、その中にいると空気のように意識しないが、違う文化に出合った時、初めて感じるものだ。

 例えば、海外旅行に行くと言葉が通じないので私たちは社会的弱者になる。だからこそ五感をアンテナのように張り巡らせ、カバーしようとする。つまり、文化とは人々が長年、様々な条件の下で形成してきた慣習や振る舞いの体系・総体といえる。

 それぞれの地域の文明や属性を端的に示しているのが文化財だ。特に有形文化財は豊富な情報を有している。文化財は過去を知るだけでなく、将来を予測するきっかけになる。それだけの価値を持っているからこそ、我々は文化財を大切にしていかなければいけない。そうでないと、我々が今踏んでいる地面を失うことになりかねない。

 限られた予算の中で、文化財行政は長期的な計画に欠けていると言わざるを得ない。修復にかかわるスタッフも不足している。文化財の保存・保護に向けた社会的認知の確立が今こそ求められる。

    ◇

 ◆特別講演 青柳正規・国立西洋美術館長

 ◆現状報告 相原嘉之・明日香村教委調整員

 ◆討論

 鈴木靖民・国学院大教授(古代史)

 沢田正昭・国士舘大教授(保存科学)

 百橋明穂・神戸大教授(美術史)

 河合敦さん(歴史作家)

 西岡麻生(まい)さん(フリーアナウンサー)

 ※司会=天野幸弘・朝日新聞記者

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