朝日・大学パートナーズシンポジウム「シルクロードの女性たち――飛鳥から敦煌・ペルシャへ」(京都橘大学、朝日新聞社共催)が22日、大阪市北区の大阪国際会議場で開かれた。ユーラシアから日本に至る、文化や民族交流の道に、女性たちはどのような足跡を残したのか。考古学、美術史など様々な角度から迫るパネリストの討論に400人が聴き入った。(コーディネーターは天野幸弘・朝日新聞記者)
【基調講演】
冒険と悲劇に満ちた人生
シルクロードを旅する女性たちは冒険と悲劇に生きた。
シルク(絹)は元々中国の特産品だが、古代の中国は繭の持ち出しを禁じた。コータン(現・新疆ウイグル自治区)の国王は中国の皇帝に縁談を持ちかけ、嫁いでくる王女に桑や蚕の繭を持ち出させた。王女は髷(まげ)の中に繭を隠して伝えたといいます。
後漢の詩人蔡文姫は、故郷の陳留(現河南省)から燕山(現河北省)へ、遊牧民族の南匈奴に連れ去られ左賢王と婚姻させられた。12年後に帰国するが、2人の子は残していかねばならなかった。
シルクロードはファッションの旅路でもある。北朝鮮の水山里古墳壁画(5世紀後半)の高句麗の女性の服装はスカートに上着。上着をだぶっとさせると高松塚古墳の女子群像(8世紀初め)の装いによく似ている。ただ、同時代の中国・長安の永泰公主墓壁画(706年)にある女性は細身のドレスで洗練されているところを見ると、日本は流行遅れだったかもしれない。
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百橋明穂さん 神戸大大学院教授 どのはし・あきお 奈良国立博物館など経て現職。専門は日本・東洋古代中世美術史など。
【基調講演】
時代超える中東の地母神
中東の「オリエント」では、紀元前8千年代には人々は多産や穀物の実り、家畜の繁殖を願って土や石で名もなき女神像を形作って崇拝した。文字が発明される前4千年代には、この神人同形の地母神に様々な名前がつけられるようになる。
メソポタミアの神話に記された女神の頂点に立ったのが女神イシュタルで、くさび形文字で書かれた粘土板文書(神話)には生命の水、愛と戦争などをつかさどる女神の属性などが明らかにされている。イシュタルは土偶、石彫などに表されている。礼拝の対象として神殿に置かれ、護符として女神は威厳を保った面持ちで表現されていた。
古代ペルシャ世界ではゾロアスター教の女神アナーヒターがイシュタル女神の伝統的な役割を継承し、他の神々と共に帝王に王権を授ける役割を担う。それはイラン北西部に残る遺構「ターク・イ・ブスタン石窟大洞の浮き彫り」(6〜7世紀)に見ることができる。
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杉村棟さん 国立民族学博物館名誉教授 すぎむら・とう 専門はイスラム・ペルシャ美術、東西美術交流。中東各地の学術調査に参加。
【特別講演】
石窟に女性供養者の壁画
中国・甘粛省西端にある敦煌莫高窟(くつ)(4〜14世紀)の全492の石窟内部には、仏画や仏像だけでなく石窟造営に出資した供養者が、自らを描いた壁画がある。その数は数千体にのぼり約半数が女性。仏画の下などに夫婦、一族を並べて描かれている。民族や社会階級は様々、服装や装飾品など細密なものも多い。私の調査では、出生や身分、夫の官職、造営理由などを添え書きした題記も79窟にある。
晩唐(9世紀終わりごろ)の第107窟には最下層と見られる女性の姿がある。生まれ変わる時は卑しさを捨てたいとの願いを込めたのだろう。五代(10世紀半ば)の第61窟は、敦煌地域の地方司令官「帰義軍節度使」の曹氏と家族約50体の像がある。題記や衣装から漢民族の元へ、ウイグル族やコータンの女性が嫁いだことが分かる。
女性供養者は仏教美術史の研究対象となると同時に、民族交流史や生活文化史においても重要な意味がある。
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王衛明さん 京都橘大教授 おう・えいめい 専門は魏晋南北朝・隋唐時代美術史など。敦煌、四川などの石窟寺院調査に参加。
――シルクロードでの交流はかなり活発だったようだが
百橋 唐の都・長安はキャラバンによる交易などが盛んで、北、南、西方の様々な民族が国際色豊かに交流していた。
谷一 95年に寧夏回族自治区固原(こげん)の唐史道洛(しどうらく)墓を発掘調査した。墓誌から中央アジアのソグド人と分かる遺体の頭蓋骨(ずがいこつ)を計測したところ、埋葬された人物は黄色人種ではなく白色人種だった。唐の時代、この地に来ていたソグド人が白色人種であったことが実証された。
小笠原 楼蘭の西、2〜5世紀くらいの営盤(インパン)15号墓から95年に出土した男性のミイラがまとっていた衣は毛織物で、その模様は明らかにギリシャ、ローマ風のものだ。
弓場 よく日本を「シルクロードの終着点」と表現するが、文物を誰が、いつ持ってきたかとなると、分からないことは多い。
百橋 女性たちの交流や移動には、結婚や夫の赴任先への同行、交易などが考えられるが、北方の民族による女性の略奪や政略結婚もあった。
猪熊 女性の移動は、権力や国家のひろがりを表す。日本でも渡来人がやってくるたびに、その人たちが着ている服装にあこがれが生じ、百済風から唐風に変えたことがあったようだ。そうした動きは、やがて政治的な意味合いを帯びたのだろう。
――当時、女性の地位はどうだったのか
弓場 中国では則天武后(そくてんぶこう)、西太后、江青まで歴史上多くの女性の名が残る。日本も卑弥呼、光明皇后などなど。どの時代も女性の存在は大きかっただろう。
谷一 中国・北朝時代の夫婦の合葬墓では、夫の方より小さめだが妻の墓誌もある。唐の時代になって、漢民族というか、中国的な伝統のようなものが強くなると女性の影が少し薄くなるように思う。北方の異民族など外の文化が流入している時は男女が対等か、むしろ女性が重んじられていたともいえそうだ。
――莫高窟と高松塚古墳に描かれた女性の比較を
猪熊 高松塚古墳は、明らかに唐代の莫高窟の人物像とは違ったものではないかと思う。日本は百済の文化をまねていたが、白村江の戦い(663年)で百済が滅んだ後、日本への文化のチャンネルは唐に切り替わる。その時、服装もすべて法律により、左前であったものが右合わせになったが、高松塚の時は、まだ過渡期で唐の様式には完全になっていない。
百橋 服装を唐風に改めよという指令は何回も出ている。恐らく、8世紀になっても一般の人は従前通りだっただろう。奈良時代になって、だんだん唐風に変わっていったのだと思う。
――シルクロードと女性をめぐる研究の展望は
小笠原 布には他の工芸品にない特徴がある。染織品は反物の状態で移動し、長さごとに値段が決まる。つまり換金に便利なことから交易品として大きな役割を果たしてきた。そして、たどりついた先で仕立てられ、最終的な形が与えられる。そこに縫い物をした女性がかかわってくる。女性が織物、染め物、縫製にどのようにかかわってきたかは意外と明らかにされていない。これから研究していきたいと思う。
谷一 ガラスは昔、宝石や貴石のイミテーション(模造品)だった。例えば、ラピスラズリ。古代、お守りや葬送に使われた石だが、昔はアフガニスタンでしか取れず大変貴重だった。そこで同じ色のガラスでイミテーションを作った。人工的に作り出す技術発展の過程でガラスの価値が上がる。あるいは西洋では日常的に使われたガラス器が、東に伝わると貴重品として扱われた。ガラスの歴史は女性の装身具や女性の地位の歴史にからむ。女性史とガラスの関連を探るのも面白いと思う。
弓場 朝鮮半島、中央アジア、内モンゴル自治区、寧夏回族自治区あたりとのつながりを考えると、シルクロードの歴史はもっと具体的になってくると思う。特にこれまで、朝鮮半島に対する研究者の意識が薄かったように思う。
百橋 日本は大陸と海で隔たっているので文物、政治制度などの交流は向こうからやってくるのを待つ感がある。一方、ユーラシア大陸の中では、南北東西を自在に人が交流する点、状況が違う。記録にはないと思うが、古代、日本の女性でシルクロードに行った人はいるのだろうか。その点は今後の研究課題にしたいと思う。
猪熊 アジアは様々な形でシルクロードの文化を共有している。正倉院の宝物をはじめとして、日本はシルクロードの文化の凝縮したものを多く持っているといえるだろう。今後もシルクロードをテーマに多方面から議論されることを期待したい。
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猪熊兼勝さん 京都橘大名誉教授 いのくま・かねかつ 専門は日本考古学。高松塚古墳、キトラ古墳などの調査に携わる。
谷一尚さん 岡山市立オリエント美術館館長 たにいち・たかし 共立女子大大学院教授など経て現職。専門はガラス交流史。
弓場紀知さん 京都橘大教授 ゆば・ただのり 専門は東洋陶磁史、考古学。独中仏米、エジプトなどで中国陶磁を中心に調査。
小笠原小枝さん 日本女子大教授 おがさわら・さえ 東京国立博物館客員研究員。専門は東洋染織史。文化審議会専門委員なども。