いなもり・かずお 32年生まれ。鹿児島大工学部卒。京セラ名誉会長、KDDI最高顧問、稲盛財団理事長。京セラ本社には、仲間7人と創業した時に掲げた「敬天愛人」の額が今も=京都市、伊ケ崎忍撮影
勝つか負けるか。厳しい競争でぎりぎりの日常は、「ありがとう」という言葉で変えられると、京セラ名誉会長で僧侶の稲盛和夫さん(76)は言う。自分以外のすべてに感謝することで、挫折続きの人生が本当に一変したという。
■心地よく、周囲もやさしく、生活潤う
――苦しい時に「ありがとう」なんて、言えるでしょうか。
不平、不満が募る悪循環から抜け出す時が、一番大変です。空襲で丸焼けになった鹿児島から、私が京都に出てきたのは1955年。家は貧しい。受験はことごとく失敗。大学を出たら就職難。やっと入った会社はつぶれそう。これが不平を言わずにおれますか。
同期がみんな辞めて不満を言う相手もなくなり、仕方なく仕事に気持ちを向けた。エレクトロニクス用の絶縁材料の開発です。本気になると時間が惜しくなって研究室に泊まり込む。上司が様子を見に来る。良いデータが出れば、「よかったね」と声がかかる。いよいよ張り切る。こうして新しいファインセラミックス材料の合成に成功し、それがテレビのブラウン管部品に採用された。逆境のままでしたが、ここから「善の循環」が始まりました。
――好調だと今度はおごりが出そうです。
努力の結果だとうぬぼれたい時も、幸運には感謝できるでしょ? いい時も悪い時も、ウソでもいいから「ありがとう」と言ってみる。まず自分が心地よい。明るくなって周囲も優しくなり、生活にうるおいが満ちてくる。この快感は、欲望を満たした時とは違ってさわやか。これが心を磨くことなんです。
人生とは一生かけて心を磨くこと。だから死に旅立つ前に、宗教の本を読み、じっくり人間を勉強する静かな時間を持ちたかった。65歳でようやく、京都の寺で得度を果たす(仏門に入る)と、尊敬する老師に「あなたは社会に出て役立つことが仏の道」と言われた。それで経営の一線を退き、学術・文化を応援する財団の運営や、家庭に恵まれない子を支える施設づくりなどに力を入れています。
――お金がないとできませんね。
懸命の努力で京セラが成長し、私は「お金持ち」になりました。たまたま手にした財産は預かり物だと思うから、どんどん世の中に還元する。心も磨かれる。でも、少ない中から少し寄付しても同じことです。
――日常に追われ、心を思う余裕がありません。
私も現役時代は忙しく、重圧がかかる毎日でした。でも、会社が急速に発展していった40代半ばから、瞑想(めいそう)のまねごとをした。毎晩寝る前に深呼吸して声に出して「ありがとうありがとう……」と唱える。それだけで波だった心が静まりました。
若いころ、来る日も来る日もセラミックの材料を砕いて焼いて、一生このままうだつが上がらないのかと思い悩んだこともありました。でも、地味な仕事を積み上げるしかないと、今では分かる。こういう真理は、経験した者が若い人にこんこんと教えるしかない。
■「自分の夢」から「従業員の生活」に
――思いが伝わらない相手もいると感じてしまいます。
研究が難航していた時、よそからきた上司と衝突しました。すると仲間7人が私と一緒に退社し、出資者を探し、「稲盛の技術を世に問う」と会社をつくってくれた。ありがたくて、懸命に頑張りました。これが京セラの始まりです。まだ20代の終わりでした。
ところが創業3年目に、若い社員たちに将来の待遇を保証しろと要求された。全力を尽くすからついてきてくれとしか約束できない、と説くうちに「技術で勝負」という気負いが消え、「自分の夢より、従業員の生活を守るのが経営者だ」と思うようになった。思えば、それは利己から利他への転換でした。
それからは社員に媚(こ)びなくなった。「お前らのためにこっちは頑張ってるのに、さぼるとは何事だ!」と言えるわけ。
――「全力」を求めるのは、競争に勝つためですか。
努力は「負けないため」ではなく「生きるため」。先日、道ばたの石垣で咲く小さな花を見つけ、わずかなすき間に根を生やした命のたくましさに胸を打たれました。自然界は必死でないと生き残れない。私は必死の努力で、不可能が可能になる瞬間を味わってきた。「強者に負けた」ようでも、「生きる努力が足りない」から敗者になる。敗れても人生が終わるわけじゃない。そこで気付くことがあれば、次は必死になり、生きていることを実感できます。(織井優佳)